寿司屋の親爺

生駒山に生駒工業団地ができてまだ間もない頃のことである。

当時、マンション建設の多い頃で、あちらに千戸こちらに千戸といった具合に建っていて、部屋の中の化粧木材は小さな工場で一人か二人で加工している程度で、プレハブ工法とは別に部屋の中にパネルを組み立てる工法の工場は十人を超える工場もあった。

工業団地の中にマンション向け加工工場を作り、未加工の材料を山ほど積み上げ、大手の建設会社に売り込んだ人がいた。

私はマンション工事とは別に社長のポケットマネーで行っていた建売住宅の工事を行っていた。

阿含宗に入信してまだ間のない頃、あちこちで神様、仏様の話をする私に耳を貸すひとがいた。耳を傾けるというには少しく違う気がする。

工場の近くで寿司屋を営む親爺である。

場所柄店に食べに来る人はほとんどなく、注文配達の店である。朝、材料を仕入れて来ると、あとは若いしに任せきりで好きなことをして一日過ごしている。

親爺の話を聞いていると面白い。

生駒には幾つかゴルフ場があるが其のうちの一つの主みたいな存在らしい。

ゴルフ場でメンバーの足りない組に言葉巧みに近寄り一緒にプレーする。大体が握るという。所謂賭けゴルフである。最初は故意に大きく逸らせると鴨が葱を背負ってきたとばかりにレートが上がるのだそうである。頃合いを見て本気をだし、鴨と猟師が入れ替わるのである。

こんな親爺が或るとき、黒い着物を着た、いかにもお坊さんと見える人を、私が作業している工場に伴って来た。

話をしているうちに護身法の話になった。護身法とは密教系、真言宗の仏事、法事等でお坊さんが最初に布の中で手を組んで、ン、ン、ン、とやっているのを見た人もあると思う。僅か数秒なので興味のない人は見落としているかもしれない。

お坊さんが護身法の一説を言ったので次をスラスラ言うと、木屑、粉屑だらけの中に正座してしまった。聞けば近くの寺の住職という、寺に遊びに来るよう誘われ帰って行った。

親爺が、寺に行くときは一升瓶ではなくて五合の紙パック二つ、お供えにと持って行くと喜ばれるよとアドバイスしてくれた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。