将軍家に圧力をかけるべく、長慶様は四国勢の上洛を要請し、〈実休〉と号した三好之虎、安宅冬康、十河一存が続々と渡海し、これに長慶様の叔父(諸説あり)の三好康長も加わり、堺に大軍が集結した。

事ここに至っては戦局不利と判断した六角承禎は、長慶様の元へ和睦の使者を寄越してきた。和睦の条件は将軍義輝公の上洛。ただその一件のみであった。

そんな折、丹波で散々に長慶勢を悩ませ続けてきた三好政勝が単独で降伏を申し入れてきた。三好四兄弟は尼崎にて和睦の可否について会談し、和睦受け入れで意思統一が図られた。

「将軍など京の都に必要はない。ここで和睦しても、将軍はいずれまた裏切るに決まっている」

儂はそう主張したかったが、〈倒幕〉するには未だ機が熟していなかったし、立場をわきまえて口を(つぐ)んだ。将軍家の取り扱いは繊細で、非常に難しい問題である。長慶様と六角承禎との間で和睦交渉が進められ、秋口に将軍足利義輝公と長慶様との間で再び和睦が結ばれた。

そして将軍義輝公は初雪の舞う中、五年ぶりの帰京を果たした。

細川晴元は和睦に反対して姿を消してしまったので、長慶様はこれを機に、人質としている晴元の嫡男細川聡明丸を元服させ、六郎を名乗らせた。

ひとまず相国寺の徳芳院を御座所としていた将軍義輝公は、長慶様の(めい)で儂が奉行となり勘解由小路室町に造営した真新しい御所に移られ、新年を迎えた。

余談であるが、この頃、側室に迎えた保子が女児を生んだ。儂にとっては、彦六以来十五年ぶりの子どもであったし、しかも女の子であったので、それはもう可愛くて可愛くて仕方なかった。

「保子、良く頑張ったな。そなたに良く似た可愛らしい女子ぞ」

「口元などは、あなた様にも似ております」

「ならぬ、女子(おなご)なのに、この儂に似てどうするのじゃ」

産後の肥立ちも良く、保子は健やかに笑った。

「この子の名は、御屋形様より一字を賜り、慶子としたいが、いかがじゃ」

「それは良き名でございます」

その場だけは、幸せに包まれたひと時が流れていた。