マツばっぱ

後になって、この頃感じたものが私の人生に大きな影響を与えたのだと思うようになった。妹がばっぱの具合が悪いことや、私に会いたがっていることを知らせてくれたのは、亡くなる三ヶ月前のことだった。

「もう誰にも会いたくねぇ。あぎ(本名)にだけ会いたい」と言っているのだという。慌てて見舞いに行くと、ばっぱはベッドの上で眠っていた。入れ歯を取った顔は心なしか黒ずんでいて、死期が近くに迫っているような、切羽詰ったものが感じられた。

「ばぁーぱ、ばぁーぱ」と耳元で名前を呼ぶと、こくりと首を振った。そして

「よく来たなぁ」と言って、にこやかな表情を浮かべてくれたが、顔には生気がなかった。

持っていったいちごを潰し、ヨーグルトに混ぜて口に運ぶと、「うめぇなぁ~。うめぇなぁ~」と言ってくれたが、食べられたのはほんのわずかな量だった。

「一人で来たのか」

「そうだよ」

「いつ帰るんだ」

「明日、帰るよ」

「そうか。会えたからおれも明日逝くから」

そう言うと、心なしか潤んだような眼をした。次の週末も見舞いに行くと、

「あぎ。きぃつけてけぇれよ。もう無理して来っことねぇ。でも葬式にはこうよ」

としっかりした口調で、そう告げた。私はその諦観が哀しくもあり、見事だとも思った。死の床にありながらも、そんなふうに思い遣ってくれる人の残してくれた心と言葉は、ずっと胸の奥にしまってある。

葬儀の日、村のあちこちで苧環草(おだまき)の花をたくさん見た。会葬者の食事が用意されている公民館の道端や、ばっぱの隣の家の軒先にもたくさんの苧環草が咲いていた。火葬場は深い緑に覆われ、午後の日射しが射るように強い日だった。一人になりたくて、外に出て深閑とした森に迷い込んだような杉木立の中を歩いていると、煙突から煙が見えた。その煙は真っ直ぐに、遥か天空を目指すように晴れ渡った六月の青い空の中に消えていった。

「あぎ、あぎ」どこからかばっぱの声が聞えてきたような気がしたが、それは私自身の中から聞えてきた声のようでもあった。

控室に戻るために歩きはじめると、笹の葉の茂みの中に苧環草の花が咲いているのが見えた。近づいて行って眺めると、青紫のその花は、風もないのに、揺れているかのように涼しげだった。私とばっぱの親密な関係を村の人たちはよく知っていて、私は一人娘の若姉の次に骨を拾った。私が白骨を見た初めての経験でもあった。

毎年、苧環草の花が咲き始めると、ばっぱの命日がやってきたと思う。そして、今でも時々背中の温もりと残してくれた言葉を思い出す日がある。それはいつも深い森のほうから、私を見守ってくれているような感じで不意にやって来るのだが、その度に泣きたくなるような気持ちに襲われる。ばっぱの家は実家の近くにあり、私は実家に帰ると、一番最初にばっぱの家に立ち寄る。仏壇のある部屋で

「つぁーつぁー」なんて呼んでいたばっぱの旦那さんと三人で、川の字になって眠ることもよくあった。右に寝返りを打てばばっぱの温かさが、左に寝返りを打てばつぁーつぁーの温かさが……。その間で私はいつもゴロゴロしていた。あの部屋に入ると、遠い遠いずっと遠い日の極上の幸せだった記憶を私はいつも抱きしめる。