今回の旅行は3泊4日ではありますが、往復で丸1日掛かりますので実質は3日間です。

土曜日に市内をバスで回ったあと、聖イサク寺院、サンクトペテルブルグの基礎となったペトロパブロフスク要塞およびその中の寺院、日曜日にロシア革命の舞台となった冬宮(エルミタージュ美術館-レンブラント作品、フランス印象派絵画、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ)および噴水の美しい夏の離宮ペトロドヴァレツ(ピョートル宮殿)、月曜日にプーシキン市にある同じく夏の離宮パブロフスク宮殿(エカチェリーナ宮殿およびアレクサンドル宮殿は外側だけ)を観光しました。

国家公務員(警察庁)でモスクワ駐在の経験あるBさんからは治安が悪いと脅かされましたが、夜は11時頃まで明るく市内を歩いても流しのタクシーに乗っても全く心配なく、ロシア民族舞踊、キーロフ・バレエ劇場(1991年に名前が変わりマリインスキー劇場)、白夜の市内散歩を楽しみました。

 

いずれの宮殿も絢爛豪華、ヨーロッパのいろいろな宮殿と比較しても劣らず、サンクトペテルブルグの街並みも全くヨーロッパそのものです。内陸部の他の地域を見ていませんが、少なくともサンクトペテルブルグについてはピョートル大帝の夢は実現したというのが私の感想です。

キリスト教信仰の復活・歴史回帰の傾向を見ても、共産主義時代に回り道はしましたが、ピョートル大帝の構想したロシアのヨーロッパ化は完成したとは言えないにしても方向性としては正しかったと思います。

バルト3国の独立後もヨーロッパへの窓としての位置付けは変わらず、というよりはバルト海さらにはヨーロッパへの窓口としてその重要性を増したかもしれません。

宮殿、寺院以外ではロシア革命関連のオーロラ号(10月革命で冬宮襲撃開始の合図の大砲を撃った巡洋艦)、革命の際にレーニンが革命本部を置いたスモーリヌイ女学院の他にだいぶ処分されたとは言え銅像・記念碑が目につきます。

記念碑と言えば1941年から1944年までのレニングラード包囲戦の戦趾、記念碑があちこちにあり、ガイドさんの説明を聞いていても恨み骨髄に達する感じでした。郊外の離宮はドイツ占領下に徹底的にまた意図的に破壊され、修復が進んだとは言え最近の経済状況を反映し修復工事中止されていたり、全く手がついていない建物もあります。

ロシア観光で面白いのは、外国人向けの値段とロシア人向けの値段が違うことです。宮殿、寺院等の観光料、タクシー代から食事の値段まで二重価格で、人によってはぼられていると頭にくる人もいるようです。

ガイドの人の説明ではレストランのウェイターの平均月収は100米ドル相当、失業率は信頼できる統計が無いものの30%としてもおかしくない状況では、貴重な外貨収入源としてロシアにそれなりの貢献をするべきかと思います。

宮殿観光に忙しく、正味3日では市内の隅々まで見ることはできませんでしたが、時間があればドストエフスキーの『罪と罰』の舞台を巡るのも面白かったと思います。観光ガイド・ブックには『罪と罰』一周コースがあり、文学好きの人は幾らでも時間をつぶせます。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。