阿含宗へ

体に何の不安も無く仕事も面白い。だけどすべてが満たされた気分ではない。どこか空白の部分がある。妻の読経にある、我の心得違い、思い違い、知らず知らずに犯せし罪があるのだろうかと頭をよぎるときがある。体の内からきれいにならなければいけないのかなと思うときがある。

そんなとき、阿含の火祭りの広告を目にした。大護摩の炎の中に仏様が現れるというのである。一度見ておくのもよいかも程度の軽い気持ちでポケットカメラを手に早く行って早く帰ろう、京都をうろついてみるのもよいかもと朝早く家を出た。京都駅八条口から東山花山の会場まで専用の送迎バスがピストン運行されていた。

バスには信者の人が二人乗り込んでいてバスガイドの代わりに親切に案内してくれる。一人は法被を着、もう一人は法被に輪袈裟を掛けていた。まだ此のときは、来年自分が同じことをやるとは想像もしていなかった。柴燈護摩の会場に着くと大勢の人が並んでいる。

京都の二月は寒い、早く点火されないかと待っている。どうせなら前で見ようと柵まで進みよい場所を確保した。

背丈ほどに積まれた護摩木が何メートル並べられているのだろうか、法螺が鳴り山伏姿の儀式が始まりいろんな儀式作法が展開される。これだけでも来たかいがあったと思うほどである。

いよいよ点火された。数分は白い煙ばかりで炎は見えない。左側から炎が見えだした。カメラを構えてもう少し、もう少しといい写真いい絵になるのを待った。よしと言ってシャッターを押した。早く帰るつもりで家を出たが三時頃までいてしまった。

現像に出した写真には、よしと言って撮った絵は横に這う炎の竜としか思えない。帰り際に炎が全く揺れないので写したのと十枚しか撮らなかった内、三枚不思議と思える写真があった。

阿含宗を覘いてみようと思いチラシの場所を訪ねて行くと、京都東山七条にあって、太鼓の音が響いていた。太鼓が止むと全くの静寂となり、受付にも人はいなかった。何か儀式でも執り行われるのだろうと思い出直すことにした。