一ページ目から読むという正論

どんな読書術の本にも書いてあることとして、「つまらないと感じた本を無理に読む必要はない」があります。それは、私もそう思います。ですが、「読みたいところから読むのがベスト」という意見に対しては、「それはどうかな」と思います。

私は、どんな本でも一ページ目から読むということを基本にしています。途中から読んでも差し支えないような読書術を使えるのは、あくまでもストーリー性のないハウツー本のような場合であって、どう考えても、どう見積もっても、もっとも著者の思いの込められる部分は冒頭です。

読まれるか、読まれないかのすべてはここからはじまる、という強い意志で書かれています。起承転結で言えば“起”ですから、ストーリーの開始を意味します。「はじめに」の項の設けられている本であれば、書くきっかけや意図、想定読者を、「本書の目的として……」を枕詞として手短に書かれています。

ここで何かしらのフックを感じなければ、読む気が失せます。“起”に失敗した本は、作品の世界に引き込まれにくくなります。逆に冒頭がしっかりしていれば読むテンションが上がります。読むべきか、読むに値しないかは、冒頭を読めばたいていの場合、判断できるようになります。

ついでに言わせてもらうと、著者にとって、ともすると中弛(なかだる)みを生ずる中盤部分がしっかり書かれていれば、その本もまた、きちんとしているという意見もあります。

書くことを前提に読んでいる私は、一ページ目から構成どおりに活字を追うことで、論の組み立てを感じながらページをめくっています。章立てや展開方法を学び、ロジックやスキームを工夫することで、いかにスムーズに読んでもらえるかを考えることができるのです。

しつこいようですが、途中から読んでも構わないと謳っている著者は、自分の本も、そうやって構成を無視して拾い読みをしてもらっていいと思っているのでしょうか。生意気なことを言うようですが、「自由に好きなところから読んで、一ページでも多く読んでください」と諂(へつら)っているように感じます。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。