“マラソン急ぎ旅”のこぼれ話

今回は長旅であり、しかも急ぎ旅だったので、まるでマラソンであった。つれづれな話を拾ってみる。

・ドイツの誇りは世界最大の輸出国であるという点である。しかし男たちはエンジニアとスポーツマンを除けばやや沈滞ぎみにみえる。十五年前の東西合併の経済的ズレが未だに尾をひいている。失業者が五〇〇万人を超し、東側の失業者は二〇%を越しているという。

・国連常任理事国入りもはかばかしくない。隣国イタリアが反対している。日本と状況が似ている。

・ドイツの出生率一・三四で日本なみに低い(二〇〇二年)。しかし子供たちは元気良い。これは一六%の高率消費税のおかげだ(当年一九%)。

・かつての宿敵

・独仏が共通教科書で歴史を習っているのは良いことだ。東洋も見習うと良い。

・最後にハンブルク生まれのヨハネス

・ブラームス(一八三三~九七)に触れよう。

二十歳でシューマンに作曲を師事したブラームスは、シューマン夫人でピアニストのクララに仄かな恋心を抱き、その心は次第に強くなった。一八五六年にシューマンは死去、六二年にブラームスはウィーンに移り名をなした。九六年にクララ危篤の知らせを受け、焦った彼は汽車を乗り違えて臨終に間に合わなかった。

気落ちした彼は翌年六十四歳の生涯を閉じた。彼は一生独身で、クララへの届かぬ思いの抑圧が、渋いが憧れに満ちた四つの交響曲をはじめ彼の傑作に全てこめられているから、お聴き下さい。彼は日本人にもよく理解できるドイツ男のロマンの華である。