婆須槃頭からの手紙

その事業は、アンベードカルというインド仏教の再興を図った傑物の衣鉢を継ぐことでした。アンベードカルは日本ではあまりなじみがないようですが、ガンディー、ネルーと同時代を生きぬき、カースト最下層からはい上がり、ついに法務大臣として独立後のインド憲法を起草した人物です。

その不可触賎民救済の情熱は彼をして仏教徒への改宗をなさしめ、一大ムーブメントとして不可触賎民のヒンドゥー教から仏教への改宗の渦を作り上げました。六十五歳の短い生涯でしたが、いまや、ガンディーと並び称せられる聖者となりました。

彼の衣鉢を継ぐという思いがけない運命になった河西秀星という日本人仏僧は、今やインド一億人ともいわれる仏教徒の生き仏として崇められています。尽条彰と同志たちはその運動に共鳴して河西老師の側近としてインド、アメリカで活動していたのです。宮市晴子は河西導師に会って精神的な救いを得たと見られます。

それ以後一途な布教活動に河西導師から『蓮台』の称号を与えられ、それから別人のような輝きを放ち始めました。やがて映画の世界に取り込まれ『宮市蓮台』となって以降の活躍は御存じのとおりです。