我が故郷に三洋電機あり 平成二十年三月二十三日掲載

バドミントンのオグ・シオ(小椋・潮田組)がオリンピック出場を決め、三洋電機ラグビー部は創設四十八年目にして初の日本一に輝きました。一九六〇年ラグビー部創設の年、偶然にも私は大泉町に生まれました。幼少の頃から休日は「三洋グラウンドで遊ぼう」が合言葉のようでした。

私が成人した頃、それまでに外人さんを見た記憶は殆ど無く、その後バブルの時代をきっかけに日本一外国人の多い町で有名になってしまいました。三洋電機と共に発展してきた町の居酒屋に入ると「こうしてお酒が飲めるのも三洋さんのお陰です……」と大合唱が聞こえました。

一九一八年(大正七年)に松下幸之助氏と共に松下電器を創設し、戦後独立し三洋電機を創設したのが井植歳男氏でした。井植氏は完成したばかりの新商品を見て製造担当者に「ご苦労さん。ええもんができたな。さあ、今日からこの商品が売れなくなるような新商品をすぐに作ってや」と言ったそうです。

一瞬の停滞も許されない厳しい競争社会を物語る名言です。天国で歳男氏が「ラグビー部ようやったな。さあ、今度は会社の方で液晶テレビや今、売れている商品が売れなくなるような新商品をすぐに作ってや」と言っている気がしてなりません。郷土の三洋電機にエールを送ります。

百年に一度に強い違和感 平成二十一年五月十五日掲載

ずっと気になっていた言葉があります。麻生総理が予言者のように言って広まった、「百年に一度の金融危機」という言葉です。もともとグリーンスパンという人が、「米国は世紀に一度の金融危機」と発言したのが、この文句が使われるようになったきっかけのようです。

みぞうゆう(正しくはみぞう)の危機と言っただけならまだ許せますが、八十年前の世界大恐慌が日本を直撃するかのような脅し文句に聞こえます。麻生総理が「解散より景気対策」と言って、国民を欺くための単なる隠れ蓑として「百年に一度だから」と言っているとしか思えません。

百年に一度という言葉は印象的で耳に残りやすく、国民を暗示にかけ、思考の枠組を決めてしまう効果があるような気がします。言葉の独り歩きは国民の意識やものごとを、決して良い方向にもっていかないように思います。

全く無責任で根拠のない、キャッチフレーズのような「百年に一度」という言葉を、世間一般の人までもが口ずさんでいることに強い違和感を感じます。十分ゆとりのある生活をしている人達までもが、「百年に一度の不況で大変だ」と言ってステーキを食べているような気がしてなりません。

※本記事は、2018年7月刊行の書籍『日本で一番ユーモラスな理科の先生』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。