親子三人での暮らしと義父たち

寒いけれど日脚が伸びてきた。たくさんクロッキーがあったが置いといて、『二人のヨセフ』に取り掛かった。義父と重信さんをモデルに、顔の見えない女性は淳さんの養母葵さん、揺籃の幼子が淳さんという趣向だった。聖書の物語のヨセフを二人にして、養父と汚れなき母の愛情という平面に二人の深い人間性を映したかった。失敗するかもしれない。

二人がスマホで耿介に逢うたびに俺も二人を捉えようと耳目を(そばだ)てた。

太洋は来る度叔父さんだぞと言いながら淳さんから抱かせてもらって、恐る恐るが今では首を支えて様になっている。ガムランボールに感心して、玩具(おもちゃ)もためにならないとな、とか言っていたが、鮮やかな配色のアクリル板で熱帯魚のモービルを作って、これまた澄んだ音で緩やかにユーモレスクを奏でるオルゴールにセットして天井に吊るして見せた。

淳さんが(えら)く感動して、眼も耳もどんどん発達しているから素敵な情操教育になるわ、などと言うものだから、そうか、俺はためになる玩具(おもちゃ)も作れるな、と得意だった。実際、魚たちの色と形の遊泳は大人の眼にも楽しかった。

カンバスを三枚並べて、人物の姿勢や色の置き具合の効果を比べながら描いてみた。厚塗りにしたくなかったので。陰影に苦労した。

淳さんの言っていることを聴き流していたわけではなかったが、一日親父と増田さんと太洋が来て、居間が棚と板壁で仕切られて、片方に寝室から耿介の物が全部移され、片方の部屋のサンルームに出るガラス戸が外されて、頑丈な仕事机が置かれた。たちまち立派なアトリエが出来上がった。俺は耿介といっしょに寝室、出来上がったばかりの子供部屋、淳さんが事務室に使っていた元々は応接室だった部屋へと、工事の進捗に合わせて退避させられた。

見物するだけでも兄ちゃん邪魔、と太洋に処払いされた。なんと増田さんが現れたので気を回したが、そういう仲では絶対ない。工程を急いだんだ。淳さんもくるくる動いて軽い物を運んでは然るべき場所に納めていった。俺たちは仲間外れなんだとさ、お前が夜泣きしなけりゃ子供部屋に遣られなくて済んだんだぞ。起きている時間、もう泣いてばかりでもなくて(さえず)りながら手足をぱたぱたさせて、眼が何か捉えようとしている。生まれてすぐは焦点が合わないんだって。どこもかもカスタマイズしなければならないんだな。俺はご機嫌。晩飯は盛大だし、ありがとありがとと太洋にまで愛情を抱いたほどだ。

それなのに

「気にするな。淳さんからちゃんと払ってもらったから」

鷹原木工所に改装を頼んだの、八汐くん、いいって言ったわよ。

「芋の煮えたも御存じないって奴だ」

否定できないけれど。

スマホでアトリエと子供部屋を見せたら

「淳は割と締まり屋だね」

と義父。

「はい。よくできた人です」

人間時間にだんだん慣れてもらわなくちゃ、と、二人だけの寝室で言う。夜、二回や三回は襁褓(むつき)を変え、授乳し、白湯を与えなどする。俺は心底楽になった。

「極楽蜻蛉(とんぼ)と腐れ縁で可哀想だ。僕は今、本当(ほんと)、極楽気分だ。あなたと耿介と絵。この順で夢中」

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。