序章

八月二十四日。この日は私にとって記念すべき一日であった。とうとうここまで辿り着くことができた。そんな思いが体中を駆けめぐった。ここ数年古本ばかりを買いあさってきた。なぜなら自分の経験を明らかにするために。言い換えるなら、自身の内奥にあるものを確かめるために。

この思いだけは枯れることなく続いている。それとも私の中のデーモンの仕業かもしれない。身の丈に合わない人たちの本は、あまりにも難解で理解力の乏しさに苦心する。乱読、誤読も甚だしい。

一冊の本に一冊のノートを作り、気づかされる部分、理解できる部分、私自身と重なる箇所などを書き写すのだが、先人たちの残してくれた偉大な思想の恩恵は、ほんの一滴のように思える。私を刺激した小さなエピソードのノートでしかない。

たぶんこんな形でしか本と向き合うことができないのだろう。なぜなら、偉大な人たちの教えはあまりにも深く、すべて血肉化などできないのだから。

しかし、こうした時の過ごし方も無駄ではなかったのかもしれない。教養とはひけらかすものではなく、自身の実人生をより良く創り続けていくために役立つものでなければいけないと考えている。

福沢諭吉の『学問のすすめ』は、あくまでも実学であり、三木清(西田幾多郎の高弟)が『三木清大学論集』の中で詳しく述べている。唐木順三(三木清を敬慕する哲学者・評論家)も、『詩とデカダンス』の中で独特の見解を述べておられる。大変難しいことではあるが……。