スリランカの古都であるキャンディに今も存在するペラデニア王立植物園からアッサム茶樹の種を取り寄せて、1867年にはセイロン島で初めて20エーカーというまとまった面積での産業レベルの継続的な茶栽培に成功した。

スリランカ

このころ1869年にはコーヒーへの破壊的なさび病の発生が見つかり、1875年から大規模面積での茶園転換が、怒涛のごとく始まっていった。

その間の1873年には、アッサムに34年遅れて、テイラー作の23ポンド(約10キログラム)の茶が、ロンドンに出荷され、高い評価を受けたことも、茶園転換を急ぐようにと背中を押したことであろう。その新植のためのアッサム雑種や中国種の茶の苗が、ペラデニア植物園などから供給され始めた。

さらなる最大の供給元として、インドのカルカッタからも大量のアッサム種茶樹の種が、運び込まれた。その結果、コーヒー園が全て見事に茶園に生まれ変わったのみならず、1895年には植栽面積30万エーカー、1920年には世界一の海外供給力を持つまでになったのだ。

コーヒー栽培のためにコロンボからキャンディを経てディンブラ・ヌワラエリヤまで切り開かれた道が、急速な茶樹植栽地の拡大に際して、大いに役立った事は言うまでもない。その上、よく出来たことに次のエピソードも、嘘のような本当の話。

「ところで広大なコーヒー畑で発生したコーヒーの枯れ木は、どうしたのだろう?」

「それは、イングランドに輸出されてティーテーブルの脚になったのさ」

という訳で、セイロン紅茶の土台には、幻のセイロンコーヒーが大いなる貢献をしたそうな。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『紅茶列車で行こう!』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。