近代的経営者としての了以

しかも、それは単に篤志家としての事業に終わらず、結果的には長い年月に渡り事業体としての「角倉」に利益をもたらした優良な「投資事業」だったと言ってよいと思う。

そういうところが私のとくに惚れ惚れとするところなのだ。事業家は社会のために貢献しなければならないと信じているけれど、それだけでなくきちんと利益を出し事業の存続を図れなければ役割を果たしたとは到底言えない。しかし、いくら素晴らしい人物と思っても、武将などと違って安土桃山時代の豪商の資料などはほとんど残っていないのが現実だ。したがって研究者も少なく、関連の書物もほとんどない(二〇一五年、森 洋久編による大部の角倉一族の研究書『角倉一族とその時代』が思文閣から出版された)。

どうやったら「了以」にたどり着けるのかというのが一番の問題だった。母と京都旅行に行った際、高瀬川沿いにあった角倉家屋敷跡の大きな門の下のわずか数センチの隙間から中を覗いたりして、思いあぐねていたのだ。

そんな状態のまま長い年月が過ぎていき、私自身の人生にも紆余曲折があった。十七年も続けていたライターとしての仕事から突然転職することになった。会社員としての新しい人生が始まった頃だったか、門の下から中を覗いていただけのその屋敷が、あるとき突然日本料理店になった。そしてびっくりしたことに、その料理店の経営者と、私が働いていた会社の社長とがかなり親しい知り合いだったのである。

私が「角倉了以」に関心を持っていることが伝えられ、その方の紹介で角倉家末裔の方々に紹介されるという大展開が訪れたのだ。それからの十数年、年一回開かれていた同族の会合(当時)に出席できるようになった。その会のおかげで、了以の事績跡をたどったり、わずかながら資料のありどころを教えられたり、いろいろな面で「角倉一族」を研究されていた方々と面識を得ることになった。

資料的には一歩「了以」に近づいた。とはいえ、それだけでは本は到底書けない。「書きたい」「私が書く」という気持ちとは別に、社会の変革期に革新的な事業を起こした大事業家で大金融家というような人物をどう描くべきなのかは、皆目見当もつかなかったというのが偽らざるところだったのである。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『母の説法 人生で大切なこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。