回想 痛い過去があるからいまに感謝できる
 

8年前だったでしょうか。贅沢な悩みとはわかっていますが、辛かった。当時の私には。夫が異動して、知らない土地へ引っ越して1年。そのときは、夫が仕事でどうなっていくか見当もつきませんでした。

私はとりあえず専業主婦になりました。そして、子育てが楽になったら、何か仕事をするつもりでしたが、そうなりませんでした。引っ越して、娘を幼稚園に入れて驚いたのです。行事が多い。

そうなると当然、親の負担が大きくなります。その上、うちの子は二人とも滲出性中耳炎持ちで、冬場は週2回の頻度で病院通いでした。

おかんはとてもワイルドに育てられて、病気をほとんどしない丈夫な子ども時代を過ごしたので、病弱な自分の子どもたちに困惑しました。うちの子どもたちは、いくら病院へ通っても滲出性中耳炎が良くならない。赤ちゃん時代からずっとほとんど年間病院通いさせているのに……。

さらに、娘は専門家に「発声が悪い」と評価されました。中耳炎持ちでいつも鼻づまりだったからだと思っていましたが、ずっとこの調子だと活舌が悪いのを直せないまま成長するという指摘を受けたのです。

(耳だけでなく、口の問題も抱えるのか)

落ち込みました。

当時は幼稚園の行事と病院通いで精いっぱいでしたが、仕方ないので娘を専門の「ことばの教室」に通わせることにしました。親バカな私にとって、『娘は「美人で賢い自慢の子」のつもりだったのに、途端に人の同情を誘う活舌の悪い特別な教室へ通う子になってしまった……』と当時の私は正直そう思って涙していました。

毎日、いろいろなところへ通うのが大変で、耳鼻科へ行くのをさぼった時期がありました。さすがに子どもの風邪がひどくなったときには通院を再開して、念のためにと聴力検査をしました。

そして、ついでに検査してもらった息子にも問題が発覚しました。

息子の左耳について、「ほとんど聞こえていませんよ」と医者に言われたのでした。

中耳炎を放置して、耳に膿がたまっていたのです。おかんは、母親失格の烙印を押されたような気持ちになりました。娘も息子も一生懸命育てているのに中耳炎が治らない。

体が丈夫にならない。私が大食漢なのに、子どもたちは二人とも食が細い。体が細い。栄養を考えて食事をつくっても、食べる量が少ないから子どもたちはずっと痩せたまま。

悪いほうにばかり考えが向きました。

育て方が悪いとは思えませんでしたが、子どもが丈夫になってくれません。終わりが見えない子育てだけの生活。よその丈夫な子の話を聞くにつれて、自分の状況に落ち込んでいました。

とはいえ、そういう気持ちは隠して、明るく生活するようにしました。

そんなあるとき、娘が宿泊イベントで不在だったので、たまには娘の状況を理解しようと思って娘のベッドで寝ました。子どもたちには、小さい頃から普通の大人が使えるシングルベッドを与えていたので、おかんでもゆったり眠れます。

ところがその翌日、起きてみると左足が痛いのです。膝から下が痛くてうまく動けません。

(寝違えたかな?)

と思って1日過ごしましたが、全然痛みが引かず、足を引きずっていました。次の日になっても治らず、しかも足が思うように動かないので病院へ行きました。

そして、診断は、「腓骨(ひこつ)神経麻痺」でした。足首を動かそうとしても、動かないのです。

原因はわからないけれど、ドクターの話では膝裏を15分間圧迫するだけで起こってしまうとのことでした。そして、私に与えられた治療はビタミン剤を飲んで様子を見るだけでした。

子育てがうまくいっていない上に、自分の体も痛めて思い通りに動かなくなってしまった。左足が治るかどうかもわからない。

(どん底へ落ちてしまった)

8年前の私は、そんな状態でした。

うつ病になりそうでした。うつ病にはいたりませんでしたが、毎日、ゲームを寝不足になるぐらいやって、先のことは考えないようにしました。朦朧としながら最低限の家事をこなし、義務感だけで子どもたちの送迎・病院通いを続けました。]

幸い、手術などしなくても腓骨神経麻痺は半年ほどで治って、普通に歩けるようになりました。

子どもたちも、なかなか丈夫にならなかったのですが、娘も息子も小学校低学年ぐらいで病弱を脱するようになりました。二人とも中学年以降は、学校を病気で休むことがない、むしろ丈夫な子になりました。

娘は「ことばの教室」通いが功を奏したのかどうかわかりませんが、小学校3年生になると活舌問題は解決しました。

一生懸命やっても思い通りにならなかった子育て。

治るかどうかわからなかった自分の左足。

そういう過去があるからこそ、いまの状況に感謝できます。思い通りにならない状況下の人の気持ちを自分なりに解釈できるようになりました。

そして、たとえ娘が「自慢の娘」でなくても、「ありのまま」を受け入れられる母親として、ひと皮むけたのではないかと思っています。とはいえ、いまでも私にとって娘は「自慢の娘」であることには変わりません。

痛い過去があるからいまを感謝できる。そして、おばちゃんになってから見る景色は、若い頃に考えていたよりもずっと良いものだと思っています。

いまも、私自身、加齢で左足は足底筋膜炎持ちだったり、それなりにあちこち疾患を抱えていますが、週末にはサッカーができます。平日には自分が納得している仕事をしています。夫とは戦友みたいなものなので、何よりもお互いの自由を尊重しています。

おばあちゃんになったら、また違う景色が見えるのだろうか?

でも、そんな先のことよりも、もうしばらくサッカー審判は続けたいと思います。

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『グリーンカード “おかんコーチ”のサッカーと審判日記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。