1998年5月21日(木)オレンジ公ウィリアムによるイングランド征服(or名誉革命)-ケルト周縁の悲劇-

先週のアムステルダム紀行で同僚の欧州監査室課長のQさんに標題「事実」関係を確認するよう依頼したとお話ししましたが、別添の通り彼からのメールを転送します(日本語訳は著者)。

本件に関しては英米法担当大学教授のIさんから、ウェールズ、コーンウォール地方の歴史・文化を含めた興味深い論文をお送り頂きました。I教授の前では、何を今更と笑われそうですが2、3追加でコメントをさせてください(本メールは父が娘に語るヨーロッパの地理・歴史教室の一環でもあります)。

名誉革命は「無血」でカトリックの専制君主を追い出し、プロテスタントの新国王を迎えたことになっていますが、「無血」のうちにウィリアムを国王として認めたのはイングランドだけです。ケルト周縁であるアイルランドでは一時国外に逃亡していた前国王ジェームズ2世(1685年~1688年)がフランス軍を率いてアイルランドに上陸、オランダ軍を指揮するウィリアムとの本格的な戦争になりました。

1690年のボイン川の戦いは、ルイ14世(在位1643年~1715年)の率いるフランスに対するオランダ、イングランドのプロテスタント国家連合の優位を決した天下分け目の合戦です。その結果アイルランド独立回復の夢は破れ、それから200年あまりアイルランドはイングランドの植民地として搾取と貧困の島に留め置かれたのです。

アイルランド紛争で常に係争となる北アイルランドのオレンジ党員の行進は、オレンジ公ウィリアム(イングランド王在位1689年~1702年)によるジェームズ2世に対する勝利を記念する新教徒のパレードで、オレンジの意味を知ったのは私もつい最近です。

今週金曜日に北アイルランド和平協定の国民投票が実施されます。新聞の論説では、アイルランドでの圧倒的賛成は確実、問題は北アイルランドでの賛成率です。60%の賛成率ではプロテスタント側が全面的に賛成したとは言えず、最低でも70%の賛成率が必要とのことでした。和平協定国民投票の結果如何では、またロンドンで爆弾騒ぎが起きるかもしれません。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。