妻の出産の立ち合いに大慌て

腰が疲れる、腰が痛い、早く出てきてよと切なそうに笑っていたが、ねえ、破水したんだと思う、と朝不審げに言う、予定より二十日も早い、すわ一大事と電話してアコードで駆けつける、医者は慌てず騒がずさあいよいよですよ。病室のベッドへ。

ちゃんと心の準備したのに周章狼狽の夫に、陣痛らしいのがないから、まだ時間かかるんでしょうね、ここでおろおろしてもしょうがないから家で待っている?

まさか! 

おばさんの看護師は、人によるから、でも赤ちゃんのためにお薬で陣痛誘発して早く出てきてもらいましょう。

いや、そんな、その……

大丈夫なの、ここ、それが専門の病院なのよ。

やっぱ、僕は待っていなくちゃ……。

そりゃお母さんは心強いわね。

ほら、ここにいるよ。

そお……あんまりみっともない姿見られたくない。

今更!

牛や馬や山羊なんかと同じよ、見られたくない。

何度か医者の出入りがあって、頭が下りてきているわ、陣痛ないの、薬使いましょう、いいえ、特別なんかじゃないわよ、自然分娩で当たり前。お父さん、苦しいところ優しく撫でてあげてください。はい、はい。

輾転反側して呻くのを、ベッドのあっち側、こっち側と回りながら腰を撫でてやるけれど楽になるどころかどんどん苦痛が増すばかりで、看護師が頻繁に下を覗く。呻きながらいやだわいやだわと脂汗の顔を歪める。拭いてやると二度とわたしを抱きたくないでしょ。こんな時にそんなことをよく言うよ。

看護師の一声、医者の皺一本にひりひりしているのをわかっているに違いない、焦らしているわけじゃないだろうが。じゃあ分娩室に。なんと五時である。来ないで。入らないで、絶対、と両腕で顔を隠して運ばれていく。牛や馬や山羊の牡はどうするのだろう。

耐えられないから電話する。病室に戻ってみる。電話して、太洋、来るんじゃないぞ、絶対。電話して、まだです。深呼吸して、次の時は冷静に、次、って、いや、また淳さんをこんな目に合わせるなんて。

呻き声が漏れてくる。看護師の声が大きくなる。なんか金属音がした。静寂。そしてひ弱な泣き声。

俺は耐えられない。ドアをどんどん叩く。

閉めたままの向こうから、生まれました。五時四十二分。もうちょっと待ってね。

ドアに凭れてずり落ちた。もうちょっと、が長い気がしてまた心配になった。看護師が出てきて、お疲れ様、病室で対面します。

淳さんがべッドで運ばれてくる。後ろからベビーベッドが来て、看護師がお包みを抱いている。中味が小さ過ぎて……未熟児? 

別嬪さん。え、男でしょ。でも別嬪さん。どうやって抱くんだ? 左利きは。

淳さんは眠っている。麻酔です。へえ、疲労困憊したからね、眠らせるんだ。さ、もうベッドへ。あとは明日。

今夜? ちゃんと夜勤がいます。お父さんも疲れたでしょう。帰ってお休みください。

別嬪さんか。淳さんに似ているかな、俺かな。

人間様って、お子様、お前、一人でどこから来たの、遠かったかい? 俺を覚えているか? 母さんの子守歌覚えているか? 甘酒、美味しかったか? おっぱいよりいいなんて言っちゃだめだぞ。

あ、動いた。口をもぐもぐやっている。あれ、ばたばたして、泣き出しちゃった。看護師さあん。

わかるよ。暴れても何も触れないものな。宇宙遊泳だ。大丈夫だ。お前、とうとうこの世に生まれちゃったんだ。

面会時間終わりです。

そうか……淳さん、じゃあ明日。偉かったよ。本当に。ぐっすり眠って、明日ね。おやすみ。坊主、おやすみ。

そうだ、名前、名前。

「あの、生まれました。母子ともに無事です。ほっとして、連絡忘れてしまった。別嬪さんです。男の子です。続きはまた明日」