こうして、学生運動は私の手を離れ、暗黒の殺し合いに突入していった。私はそうして紛争には巻き込まれることなしに生き残った。

しかし、それだけではすまなかった。彼ら仲間たちの中には、共にかばい合って戦った友も、マルクスを教えてくれた先輩も、面倒を見てくれた女の先輩もいた。彼らの中にはいい人もいたのだ。彼らが事件の当事者として破滅していくのを、私は指をくわえて見ていることになった。

私の心に悲しみのトゲが刺さったまま、疼いて止まらなかった。私はやられていく仲間のところに帰りたかったが、帰れない自分をどうすることもできなかった。そして、私は迷いながら逃げるしかなかった。

仲間たちが組織的に逃亡したあと、私が逃げないでいれば、公安の標的になってしまう。現場にいなかったとはいえ、私は彼らの仲間だった。公安は彼らを捕まえないかぎり、私を捕まえたなら、私から情報を得ようとして、責めたてるだろう。知らないと言ってすむはずがなかった。私は公安の攻撃に耐えるだけの自信がなかった。逃げるより他はなかったのだ。

私は案の定、参考人として指名手配されていた。私は一粒の砂として紛れ込んだ東京で用心深く身をやつしていった。そこで私は糊口を凌ぐために働かなければならなかった。驚いたことに、働いて我を忘れていると、一日一日がアッと言う間に過ぎ去っていた。

そんな労働の日々は、私に言い知れぬ空白感をもたらした。そして、私は暗黒の空間に放り出されて、静かに底無しの暗闇に沈んでいくような孤独を経験した。私はこの社会の一切から疎外され、一切から宙に浮いた存在になっていた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。