ファーストレディ、イメルダ夫人

イメルダ・マルコス(以下IMと略す/旧姓ロムアルデス)、フィリピン共和国第一○代マルコス大統領の夫人、五四歳(一九八三年八月当時の年齢)。マニラ生まれだが学生時代をレイテ島のタクロバンで過ごす。父親は弁護士で前妻との間にはすでに五人の子がいた。IMの母は前妻の死後に嫁した後妻で、IMはその長女。

高校在学中地元の美人コンテストで優勝し「タクロバンのバラ」と持て囃される。二三歳の時にマニラへ上京し、銀行に勤めながら歌手を目指し歌の勉強をした。翌年「ミス・マニラ・コンテスト」に出場するも次点に終わる。そこで、その結果はおかしい、自分こそがミスだ、とマニラ市長に直談判に行ったというのは有名な話だ。

その行動力とIMの美貌に惚れ込んだFMは積極的に求愛し「私と結婚すれば、あなたは大統領夫人になれる」と言い口説き落とした。五四年二人は結婚する。IM二四歳の時であった。その後、二女一男を儲ける。

FMの大統領就任後はファーストレディーとして夫の補佐の他にも、外交、福祉等に手腕を発揮する。戒厳令発令後、独裁者となった夫の威を借り積極的に国政にも介入した。七五年メトロマニラ知事に就任。七八年住居環境相に就任。米誌コスモポリタンが選ぶ世界の金持ちトップ10に選ばれたこともある。

「テレビでよく見ますけど、スピーチも上手いですし、イメルダ夫人って女帝の風格がありますよね。マルコス大統領は年齢的な衰えを感じますけど」

「今や確かにイメルダはマルコス王朝の女帝だね。誰もイメルダに逆らえないって雰囲気があるよね。この国の物は自分の物、自分の物も自分の物って感覚なんだろうね」

「家柄もいいんですか」

「フィリピン政財界の名家ロムアルデス家の生まれだけど、傍系だったため貧しい暮らしをしていたそうですよ。でも子供の頃から上昇志向だけは人一倍強かった」

「前に誰かからミス・マニラ・コンテストの話は聞いたことがあります」

これはイメルダの自己主張の強さを示す絶好のエピソードとして有名だ。

「そうですね。若い頃のイメルダは美貌の持ち主だったらしい。参加したミス・マニラ・コンテストの準ミスに選ばれたんだけど、普通だったらみんな満足するでしょう。しかし、イメルダは違った。

『ミスに選ばれた娘には有力者のコネがあったんでしょう。こんなに苦労して頑張った私がミスに選ばれないなんておかしいです』と涙を流してマニラ市長に訴え結果を覆させた。こんな訴えを聞くマニラ市長もどうかしていると思うけど、きっと迫真の名演技だったのでしょうね」

それを意志が強いと取るか、執着心が強いと取るか。見方は人それぞれなのだろう。自分だったら後者なのだろうと平瀬の話を聞きながら正嗣は思った。