当時、私が顧問を務める女子テニス部の部長は、小林洋子(仮名)。中学生としては数少ない大人の見識を垣間見せる優秀なリーダーだった。その洋子が私に尋ねた。

「先生、『わかば』さんが、部対抗で、一緒に走るって聞いたのですけど本当ですか?」

「そうだよ。でも、あまり気にしなくてもいいよ。毎年の通りにやってくれれば、それでいいよ」

洋子は、私の答えに少々困ったようすで、深く考え込んでいるようだった。体育祭の当日、部活動対抗リレーの女子の部で、おもしろい光景が見られた。女子テニス部は、例年の通り、ラケットを持ってスタートした。そのラケットがバトン代わりになるのだろうと誰もが思っていた。

ところが、第二走者もラケットを持っている。第二走者は、ラケットを二本持って走り、第三走者は三本持って走る。女子テニス部の選手の走る速度は、走者が替わるごとに、少しずつ遅くなっていった。しかし、決して力を抜いている訳ではない。

全走者とも必死の形相で走っているのだ。最終の第八走者にいたると、両腕で八本のラケットを抱え、それを落とすまいと一生懸命だ。その前の第七走者は、一度は全部落としてしまい、それを集めて抱えなおすのに、かなり苦労していた。もちろん、最終走者は洋子だった。

そして、その後ろを「わかば学級」が迫って来る。ゴール前の直線で二人のランナーは並んだ。しかしゴールの直前で、洋子は、「わかば」の最終走者を振り切って、先にゴールインした。見ていた生徒や保護者からは大きな拍手が沸き起こった。

その拍手は、一人孤独に走っている最下位の選手に贈られる拍手ではない。最後にデッドヒートを演じた二人のランナーに対する称賛の拍手だった。私は、「わかば」の担任として、洋子に心から感謝の拍手を贈った。

彼女は、さまざまな思いに悩んだ末に、あのようなアイディアを考えついたのだろう。第三者は、彼女の行為に対して、さまざまな異論を差し挟むかもしれない。だが私は、彼女の純粋なやさしさに好感を持ち、深く思い悩んだ末に考えついたあの工夫に、率直に感動したのだ。

彼女はその後、「先生、どうでしたか?」などと決して聞いてこなかった。私は、体育祭終了後の最初の部活動の練習日に、ただ何気なく「ありがとうな」と告げた。洋子は、照れくさそうに、少し微笑んだだけだった。