組織にいた最後の日、私は活動を終えて馬場下(ばばした)の文学部からアジトの下宿への道を歩いていた。すでに日はとっぷりと暮れて通りは暗かった。どれほど歩いたことだろう。ふと気がつくと何か小さな(つぶや)き声が、ずっと私のあとに付いて来ていた。

赤信号で立ち止まったところで、その呟き声は足音と共に近づいて来た。耳をそばだてて聞くと、その呟きは「俺の方が……。俺の方が……」と言っていた。驚いて振り返ると、そこには一文の副委員長の能面のような顔があった。彼こそは私に付き(まと)って、私の信仰(実存)について自己批判を要求し続けてきた男だった。

次の瞬間、私は身を(ひるがえ)して、赤信号の横断歩道に飛び出すと、一目散(いちもくさん)に走っていた。どれほど走ったことだろうか。私は息を切らして自分の部屋に辿(たど)り着くと、闇の中で息を潜めながら、忍び寄るスターリン主義の影に(おのの)いた。

彼は、私を蹴落として、恐らくは一文の委員長になるだろう。そして、私を完全に牛耳ろうとするだろう。彼は(おのれ)自身に依拠することを知らず、人に依存することを社会主義と呼び、権力を得て人に号令することを、マルクス主義と呼んでいた。私はそんな彼をもてはやす組織に不安な(ほろ)びの影を見た。

彼らは自ら戦いもせずに、人を組織化(支配)することを運動と称していた。一体運動に参加した者を組織化して何になるというのだろう。私は自由に選んで参加する立場(サルトル)を、そんな彼らに否定されて、自分の立つ瀬を失っていた。私が抱いていた自由と解放の夢が、組織という悪霊に押し潰されようとしていた。

それにしても、私は彼ら味方からの攻撃に対してまったく無力だった。私は敵と戦えても、味方と戦うことができなかった。私は無力感に襲われて、その夜遅く、ついに組織から脱落することを決意した。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。