世界史の授業は、市民革命の時代にさしかかった。アメリカ独立革命やフランス革命について扱う。佑子は授業で話しながら、自分の中にどんどん疑問が積み重なっていく。

独立を志向してイギリス軍に対峙したアメリカの市民は、王権に反抗したパリの市民は、昂然と暴力をふるう。新しい時代を築くために、それは必要な暴力であり、革命は栄光の歴史であると説かれるのだけれど、どう正当化しても、暴力は暴力じゃないのか。そして、その暴力をふるっていた人々に、来たるべき時代の意味が分かっていたとは到底思えない。

この先の授業の準備をしようと、佑子はキッチンのテーブルに参考書や資料を広げている。が、高校生向けの資料は、一面的に近代社会を切り開いた歴史的転換点として革命を肯定的に、場合によっては礼賛さえしている。どうしたものか、とノートを作るペンの動きも止まりがちなのだけれど、隣の部屋では基がリズミカルにキーボードを叩いている音がする。ふとそれが止んで、泡盛の入ったグラスに氷を足すためにキッチンにやって来た。その表情は暢気で楽しそうだ。

「モトくんは気楽そうだねぇ」

佑子はそう言ってみたけれど。

「あはぁ、うん。楽しいこと、今やってんだ」

さらに気楽な返事が返ってくるばかりだ。

「楽しいことって、何よ」

「まだ、ヒミツ。でも、ユーコちゃんのせいで始めちゃったことでもあるんだけど」

「何だか気になる言い方するんだから。こっちは結構リアルに悩んでるんだよ」

「そうは言っても、何百年か前に終わっちゃってることじゃんか」

「じゃない。そうじゃないのよ。事実はくつがえらないかもだけど、その意味を」

「現代の視点から問い直す、だろ。オレだってマジメに話きいてることだってあるし」

「難しいんだよねぇ。明日どうするか、ってことでもないんだけどさ」

「ヒロさん、大先輩だろ。訊いてみたらいいさ。オレは分かんないからさ」

基は右手のグラスを目の高さで軽く揺する。泡盛の中の氷とスカイブルーのグラスが、柔らかな音をささやく。口にするのは苦手だけれど、少し距離を置いて香ってくる泡盛はいいな、と思う。

「あんまり飲み過ぎちゃ、ダメだよ」

「大丈夫。明日はオフだし」

「まだ寝ないの?」

「もうちょっと進めてからね。氷だけ足んなくなっちゃったけど、作業はまだ区切りのいい所までいってないし」

「だから、何やってるの? 何かの原稿なんだろうけど」

「ヒミツだってば」

「そういえばさ、今日、あ、もう昨日か。また三人、入部するかも」

「すげぇじゃん。三人っていうことは」

目をきょろきょろさせて、多分基はメンバーの誰彼を思い出している。

「おう、十五人そろうってワケか!」

佑子は、夕方に見た三人の生徒の、ちょっと怯えた顔を思い出す。筋トレに興味を持って寄って来ただけだけれど、佑子はあれこれ言わなかった。きっと保谷くんたちが頑張るだろう。少し肩の力を抜いて、ラグビー部のことは楽観することにしている。その方が、きっと部員たちのことがよく見える。その佑子の微笑に、基は言う。

「授業のことで悩むなんて、ポジな悩みだろ。部活だって活気づいてさ。いい仕事してるんだって、そう思ってた方がいいさ」

細くなって下がった基の目尻に、ちょっと感謝の気持ちを抱いたのだけれど、そんなことを悟られたくなくて、資料集のページに目を移した。掲載されている思想家の肖像に、心の中でバぁカと毒づいてみた。

基は背中を見せて、鼻歌に沖縄の島唄を乗せて、なぜだかクロスステップを踏みながら部屋に消えていった。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『楕円球 この胸に抱いて  大磯東高校ラグビー部誌』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。