「水をくれ、水をくれ」と、掠れた必死の声がするので、Mは茶碗に水を入れて追っかけていったが、車を引く人から「水を飲ますといけんのじゃ。すぐに死んでしまいよるけえ」と拒絶された。Mは「最後に一口飲ませてやれば、ええのにのう」と思って次々と運ばれてくる怪我人にも水を持っていったが、運んできた人は、「死ぬけえダメじゃ」と言って飲まそうとしなかった。Mは最後に一口だけでも飲ませてやりたかった。

その日から、広島から大朝に通じる省営のバスは一台も通らなくなった。

広島は全滅したそうだ

新型爆弾が広島に投下されたという情報は田舎町にも、その日のうちに聞こえてきて、広島は全滅したらしいという噂が流れた。

市内の中心地にいた者は強烈な熱線を浴びて、殆どが焼け爛れて死んだらしいという。それも肉も骨も溶けてしまって死体も残っていないということも聞いた。現世にそんな酷いことをやる奴がいるなんて空恐ろしいことだ。Mは大人になって書いた自著のなかに、原爆への怒りを次のように書いている。

……この世のものとは思えない惨劇を予知しながら大量殺戮兵器として原子爆弾を開発製造した狂人たち。

投下することを命じた、人間の心を持たない白い悪魔。強烈な熱線と放射能で、一瞬にして無差別に多数の人命を奪った残虐な殺戮。極悪非道の極みである。

到底、人間の仕業とは考えられない人類史上未曾有の人為的災厄だった。

無抵抗のあらがう術すら知らない老人、女性、子供を大量に殺戮した理由などあるわけがない。

原爆投下は未来永劫、断じて許せる行為ではない。

黄色人種への蔑視が根底にあっての非人道的で卑劣な手段としか言いようがない。

父が帰ってきたのは五日後

父からは何にも連絡はない。死んだのだろうか。真蔵おじさんやスミおばさんはどうしただろうか。母は広島へ探しに行くわけにもいかず、「お父ちゃんは仕事に出ておって、きっと死んだかもしれんね」と涙を拭っていた。八月六日の原爆が落ちた朝から五日も過ぎた夕方のことだった。

Mはこの日も岸川の家の前の県道脇にしゃがんで父が帰ってこないかと広島方向を見続けていた。夕陽が落ちて黄昏が迫って人通りもなく車も通らなくなった。やっぱり父は原爆で殺されたのではないかと思って、立ち上がりかけた。そのときだった。

見続けていた広島方向から自転車が揺れながらやってきて、Mの前で止まった。降り立ったのは頰が瘦せこけ、無精髭が伸びたままの戦闘帽にゲートル姿の男で、父とは別人としか思えなかった。

だが、「おーいっ!」と呼びかけられた声は、まさしく父だった。

Mは駆け寄って抱きついた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ピカ・ドン(原爆落下)とマリリン・モンローを見た少年M』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。