わかば学級と「大きなかぶ」

十八年程前、特別支援学級「わかば学級」の担任を五年間勤めたことがある。私は、「国語の教師」として自分の教師生活を終えるつもりだったので、当時の校長から最初にこの話を聞いた時に、できるなら断りたいと思い、「ほかに適任者はいませんか」と答えた。

しかし、考えてみると、私自身の次女は難聴者としてろう学校に通っており、「この仕事から逃げることは自分自身から逃げることと同じではないか」と思い返し、その翌日、「私でよければ……」と引き受けることにしたのだった。

受け持った学級の生徒は八名。ひらがなを読むことさえ難しい子、数という概念が持てない子、絶えず見えない誰かと会話を続けている子など、障がいのようすはさまざまだった。戸惑いながら彼らの中に入り込み、試行錯誤を繰り返しながら、なんとか一年間を過ごした。

二年目からは、自立活動の授業で、学生時代に覚えた合気道の基本を教えてみたり、当時、自分の次女が習っていたスポーツチャンバラを体育の授業中に取り入れたりしてみた。車椅子でしか移動できない女の子が入学し、その子の介助で体力的にも大変だったが、今思い返すと、「大変充実していた日々」であったと思う。

特別支援学級の生徒は、日常の学校生活のさまざまな活動の中で、通常学級の生徒と交流を試みることが多い。ほとんどの生徒が温かく迎えてくれるのだが、積極的に話しかけてくれたり、昼休みに一緒に遊んでくれたりする生徒は皆無だった。「どのように接したらよいのかわからない」というのが、通常学級の生徒たちの本音だったのだと思う。