医師の見立て通り、このお嬢さんは発達障害ではなくシゾイド・パーソナリティの傾向が顕著な人だった。母の育て方のせいで、自分の殻・世界にこもりがちであったのだろう。またそうしていないと安全や庇護が保証されなかったに違いない。親を煩わせないこと、すなわち自分の世界にこもることが、この女性の生き延びるすべだったのだ。

しかし学校に行けば、そのやり方は通用しない。外との交流でうまくいかないと自分の中の被害感が強くなり、物に当たっていた。小中はそれほど大事にならずに済んだが、高校で備品や教室のドアを傷つけるとなると、放っておかれるはずがない。周囲は周りの人間にも被害が及ぶのではと心配したが、人を傷つける人ではなかった。人との交流が少なく、感情の表し方や、人がそれをどう受け止めるかがわからなかったのである。

娘を担当した女性カウンセラーには、医師の見立て通り発達障害とは思われないこと、シゾイド・パーソナリティとなった背景などを説明し、この娘が普通の会話をできるようになること、周りの人をあまり驚かせないようにふるまえるようになることなどを目標とするように指示した。娘は面接で、物に当たると周りの人はびっくりして怖くなるものよ、と聞いて、不思議そうな顔をしながらもうなずいていたと言う。

さて母親である。

〈そんなに嫌いなお嬢さんなのに、よく殺しもせずここまで育てていらっしゃいましたね〉と言うと、この母親は、にっこりとした。わが意を得たり、とでも言うのだろうか、莞爾として微笑むばかりである。

さらに、〈お嬢さんが人を傷つけないのは、お母さんに似たからじゃないですか〉と言うと、母親は嬉しそうに笑って、

「先生はよくおわかりですね」

と言った。

やはり頭のいい人なのだろう。彼女の娘に対する見方が、姑や夫に似たどこの馬の骨かわからない娘から、自分の娘に変わっていった瞬間である。

無論それはそれで新たな弊害を生む恐れはあったが、娘がそれに対処する力をつけつつある現在、そのことはもはや大きな脅威とはならないであろう。

高校までこの娘を育てながらも、憎み、冷淡にするだけでなく、ずっと呪詛のようにおまえは駄目だ、おまえは暗い、おまえは人づきあいなんかできない、と娘に言い続けたこの母親に対して、人はどのように感じるだろうか。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『毒親の彼方に』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。