むち打ちと診断されるも健康保険がきかず…

数日後の夜、住所地を一人で訪ねると大手ゼネコンの道路舗装会社の寮であった。玄関の引き違いの戸を開けて中に入ると、間口三間半奥行一間が土間になっており、三尺くらい簀子が置かれていて、一尺ほどの高さで奥行一間が板張りの床になっており、土間と板の間に作り付けの下駄箱がある。左側に四尺の廊下が奥まで延びており廊下に沿って部屋が並んでいる。

声をかけても応答がなく、柱に呼び鈴の釦らしい物を見つけ釦を押すと、一番手前の部屋から女の人が出てきた。訪れた理由を話すと部屋に戻り、少したってから、追突してきた運転手と二人で出てきていきなり土下座をした。私は土間に立ったままである。

「土下座をするような話ではないので頭を上げてください」と言うとこちらを向いて話が始まった。二人は夫婦とのこと、夫が道路舗装に従事し妻は賄い係として働いていると言う。

夫の左耳には黒い大きな耳当てをしている。二週間まえから大きく腫れ上がり、膿が出て人の話が聞き取りにくいと言い、事故後の話は妻とばかりになり夫はただ頷くのみである。

話の内容は只々泣き落としに終始し、保険には入っていない。車は修理します。私と弟弟子に各十万円ずつ払います。この案で示談成立としてほしいというものである。私も長引かせるのも嫌であったし、深く考えもせず翌日示談書にサインをした。

ここから私の苦しみが始まるのである。否、従兄に逢ったときから、否否、根は深かったのである。本当の根っ子、原因に気がつくのはずっとのちのことである。

事故があってから一か月たったころだろうか。毎日気分がすぐれず首から後頭部にかけて異変を感じ、日増しに症状は悪くなるばかりで、病院へ行き症状を話すと先生にあっさり、「むち打ち症ですね」と言われ、病院通いが始まった。治療といってもやることは電気を通して温かくなった物を数分首に当てたあと、顎を治療器と称するもので釣り上げるだけである。横から見ていると首つりに見えなくもない。

交通事故で通院する人は健康保険は適用されない。これだけで十万円は消えてしまった。通院しても良くなる気がしない。

鍼が良いと言う人が居て鍼灸師を紹介してもらい通うことにした。「四、五回来れば良くなりますよ」と言われ通うことにした。最初は首から後頭部だけであったのが、回をかさねるたびに鍼の数が多くなっていった。

先生も首をひねるばかりである。十回を超した頃からは臍のまわりに数本頭頂部に数本といった具合に鍼の数はどんどん増えていった。先生も大変苦労しているようである。

此の頃になると昼過ぎになると少し俯くと吐き気がし、握力が弱り金槌の穂が何処を向くかわからない。大工を続ける事も難しいと思い始めていた。十五、六回行ってもよくならなかった。