彼女は私がそんな彼女を受け入れて、見守っていることに安堵(あんど)してか、何か考え込むふうだったが、「自分は悪い女だから(あきら)めて欲しい」と言った。それでも私が諦めないのを見ると「自分をもらってくれないか」と聞いた。私は何と答えていいのか、わからなくて(うつむ)いたが、そう言われて(うれ)しいのには違いなかった。彼女にとって私は純真無垢(むく)な青年であり、あまつさえ子供であった。

彼女がそう思っているのは、いかにも人を見くびっているようだったが、私は彼女が微塵(みじん)の悪意も持っていないことを感じていた。街を行く娼婦たちは、初め恐ろしく奇麗(きれい)になるが、それは束の間のことで、あとは急激に色褪(いろあ)せて、最後は恐ろしく(みにく)くなるのが普通だった。Rは自分のそんな運命を恐れて、そこから(のが)れようとして、私を求めたのには(ちが)いなかった。

年が明けて一月下旬、私は()りしきる雨の中を寝台特急で東京に行き、練習のつもりでW大の文学部の試験を受けた。ずぶ()れになりながら自分自身に成りきった自分がいた。絶望に向かって(いど)むように生きた自分がいた。結果は合格だった。あれだけ本を読んできたのだから、当然という気もしたが、まぐれと言われれば、そんな気もした。

三月上旬、本番のつもりで長崎の医学部の試験を受けた。文系はともかく理系には不安で確信の持てない自分がいた。結果は三度目の不合格だった。自分が望んだところに合格しなかったことには、耐え(がた)い空しさがあった。

自分の望んだ自分自身になり得なかった絶望は、また自分自身を生き得えていない絶望であり、それは彼女を愛しながら、愛し得ない絶望となった。私は絶望の(ゆえ)に彼女を求めながら、絶望の故に彼女と(わか)れることになったのだ。

(私は、確かに、彼女と悲しみを共有して(あい)し合うことができた。しかし、その愛によって生まれ変わって、生きることができなかった。社会に地歩を得て、生活者となることに合格(ごうかく)しなかったのだ。)

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。