第二章 原点への回帰

第3節 佐世保

それにしても、迫りくる絶望に向かって、私の前に現われてくるのは悲しい者たちばかりだった。終戦の衝撃で発狂し、米軍基地の門の前で米兵に最敬礼(さいけいれい)(せま)()り返す人や、消防車となって(さけ)びながら、商店街を走り抜けて行く人が、不思議に私の耳目(じもく)を引いた。

それに街を歩く米軍基地の売春婦たちの多くは、一様(いちよう)に顔にペンキを塗ったように(みにく)く、色あせた白い肌をしていた。両脇を抱えられて、引き()られていく女も見た。私がコーヒーを飲みに(かよ)ったスナックの女だった。

ある時、どこか(うれ)いのある悲しげな眼差(まなざ)しで私を見つめ、助けを求めるように、「行きたくないな」と(つぶや)いて目を伏せた。彼女は私の悲しみに反応し、私は彼女の悲しみに反応した。私はできることなら(たす)けてやりたかったが、何もしてやれなかった。

町の人から外人バーの女と(さげす)まれた彼女たちは、人を愛しては堕胎(だたい)を重ねて、子を()めない体になっていくという。そんな娼婦たちの表情にはどうしようもない(かな)しみの影があった。私はその悲しさを自分の(いた)みとして共有できたが、そんな彼女たちの運命に対してまったく無力(むりょく)だった。

受験の迫った年の瀬、受験生たちが一人また一人と()って行ったあとの寮は閑散(かんさん)として、壁に掛った柱時計が(うつ)ろな時を刻んでいた。(ひと)り残された私は物置場に捨てられた文系の問題集を(ひろ)い集めて、昼過ぎから夜明け近くまで自分の部屋で勉強した。

夜明け前の午前三時頃、五冊目をやり終えると、(りょう)()け出して、基地の前の例のスナックで、コーヒーを飲んでから寝るのがその(ころ)習慣(しゅうかん)だった。そのスナックは米軍基地の娼婦たちの()まり場だった。米兵でごった返すこともあったが、ほとんどは静かにジャズを聞かせてくれた。そのカウンター越しに彼女・Rがいた。

私は勉強に没頭したあとなので、疲れに任せて茫然(ぼうぜん)と彼女を見つめながら、(つか)の間の安らぎの時を過ごした。Rは(つや)やかな肌をしていて、亜麻色(あまいろ)の髪を腰の辺りまで()らしていた。その美しさは神々しいばかりだった。通り(すが)りの男が娼婦に声を掛けるように、彼女に声を掛けると、彼女は(きぬ)を裂くような声でヒステリーを起こした。異様な叫び声が(あた)りに響きわたって、瞬間、水を打ったような静寂が(おとず)れるほどだった。それは、彼女が自分が娼婦(しょうふ)であることを、私に知られたくない、ということだった。