私は三人にそう言い残して温泉に入った。他のほとんどの宿泊客はチェックアウトしたので、湯に入っている人はいなかった。今回の旅行で初めての一人の時間だった。硫黄成分が酸化されてできた湯の花で色づいた乳白色の湯は、美肌効果があると宿のパンフレットに書いてあった。今さら美肌になっても、誰に見せられるものでもない。ただ一人肌を見せられるとすれば妻だが、美肌になったと自慢しても、妻は毛ほども関心を示さず、軽くスルーするだけだろう。

雨が降っていたが、露天風呂に目がない私は屋外に出た。昨夜は三人に気兼ねして、我慢したのだ。小さな旅館にしては大きな露天風呂だった。私は一人、風呂を囲む岩に頭をのせ、手足を思い切り伸ばした。乳白色の湯に体は隠れて見えない。湯の中で、俳句でも作ろうと思ったが、三人にいろいろ質問されて、思考能力がそっちに持っていかれたようで、ろくな句が作れなかった。

年金生活に入ってから、こんなにゆったりした時間は久しぶりだ。今回、あの知りたがり屋で、物事に前向きで、負けず嫌いの友が一緒でなければ、私の心はより平穏で、湯の中で何句かできたことだろう。だが、もう付き合いが四十五年以上にもなる、なんの気兼ねもいらない友と、こうして友情を温めるのもまた楽しいものだ。

あの三人はいったいどんな俳号をつけたのだろうか。生まれて初めての俳句の出来具合は如何ばかりだろうか。チェックアウトの時間が迫ってきたので、湯から上がることにする。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『春風や俳句神様降りてきて』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。