文面には子どもを授かったので当分会えないと簡単に記してあるだけで、来栖が知りたいと思うようなことは書かれていなかった。何度も迷ったが、結局一度も連絡せずじまいで、彼女のほうからもその後何も知らせてこなかった。二人の関係は没交渉のままで、時が過ぎていった。

彼女の消息につきわかったことでは、夫が栄転で本社に戻ったことぐらいで、これは職場の人事異動として元同僚の来栖にも既に入っていた情報だった。その他、彼女本人に関して、とりたてて変事や何か特別なことなど耳にすることもなく、彼女とまったく会わないままの状況が続いた。

没交渉となってから半年ほど経た頃だったか、彼女の夫から突然訃報を知らせる葉書が届き、妻が病没したので年末年始の挨拶は控えさせていただくという趣旨の通知を受け取った。

彼女の死の真相を知ったのはさらに二カ月後のことで、来栖同様広告代理店を退職していたものの、高梨と職場で親しくしていた元同僚の一人にたまたま会えて伝えてもらった情報によるものだった。死産と産褥による母子共々の死との由である。

元同僚から伝え聞いたところでは、彼女は妊娠七カ月目に入ったところで早産の危機にさらされ、産院クリニックに救急車で搬入されて死産となり、回復に向かうと見えた母体もその後急変し、三日後に亡くなっていた。難産の原因としては高齢出産も一つの重要な要因だと聞かされた。

女性の妊娠や出産に疎い来栖もさすがに逆算して彼女が受胎したと思われる月を計算してみた。彼女と夫の夫婦関係については関知できないが、受胎した頃というのは彼女と頻繁に会い、会えば必ず情熱に駆られて性交渉を持っていた時期に一致している。

そのため彼は恭子という愛欲の対象であり、また安らぎも与えてくれた人間と、授かったかもしれない子供の二人をいちどきに失った可能性もあるのではと思案するようになった。この疑念は尾を曳き、恭子とのそもそもの馴れ初めから唐突な別離まで、彼女とのつき合いを振り返って考え込んでしまうこともあった。

夫の子なのか、来栖との間にできた子なのか、結局恭子は誰にも知らせず、全てをあの世に持っていってしまった。二つの選択肢の間で迷ってしまい、この先も彼女の死因につき、煩悶せざるを得ない問題を抱え続ける気がした。

おまけに何か考えにふけってしまうと、常に過ぎ去ったことを思い出す。つくづく年を取ったなとも思う。思案にはまると、未来志向の考えや将来を見据えた展望などまったく思い浮かばない。