第三節 佐世保

それからしばらくして私は予備校に入るために長崎県の佐世保に旅立った。そして、そこで二年目の浪人生活に入った。佐世保は米軍基地の(まち)だった。その軍事施設や売春街には、何かしら索漠(さくばく)とした虚しさが漂っていた。しかし、私はそんな街並みを自分に相応(ふさわ)しい第二の故郷のように思った。

私はまったく孤独だったが、何の恐れもなかった。商店街の人込(ひとご)みの中を、(ひと)り歩き回って孤独を楽しんだ。ただ明るい春の日差(ひざ)しの中で、「透明のカプセル」に入っているような不思議な感覚が()れなかった(私は知らなかったのだが、これは離人(りじん)症といって統合失調症の症状(しょうじょう)なのだという)。

私が入った予備校の山の手の(りょう)からは、灰色の軍艦の停泊する港や、鉄条網に囲まれた基地や山裾(やますそ)(まと)わりついた雑草のような市街地の風景(ふうけい)を一望にすることができた。数年前、米軍の空母エンタープライズが寄港した(さい)には、それに反対した学生たちと機動隊が衝突したという橋も見えた。そして、そんな風景をぼんやりと(なが)めるのが私の日課になっていった。

私はこの寮から予備校に(かよ)ったが、すでに勉学の能力を失っていた。私は必死になって教室の黒板を見ようとし、講師の言うことを聞こうとしたが、それらを理解することも、記憶することもできなかった。私の前にはただ透明の(かべ)があるばかりで、外の世界のすべてが、その壁を(とお)して意味を失っていた。

私は透明の壁の外の世界に踏み入ろうとしてその真空に(あえ)ぎ、自分の中に(むな)しく戻るしかなかった。そして、彼岸(ひがん)の世界に取りつけないままに、不安の中に(たたず)み、身の破滅を予感して、この不吉な壁を取り(はら)おうと試みた。同じ部屋の友達と夜の街に繰り出して、スナックで一杯のウイスキーを(あお)って、大空に向かって叫んでみたこともあった。

そうすれば、自分が閉じ込こめられた「透明のカプセル」から()け出せるような気がしたのだ。無論(むろん)、酔いがさめればもとの木阿弥(もくあみ)だった。私はどうしようもない絶望感と焦燥(しょうそう)感に追い立てられていった。

そんな()さを晴らそうと、夏休みのある日、西海橋(さいかいばし)までヒッチハイクしたことがあった。そこには米軍基地の娼婦(しょうふ)たちの自殺の名所があって、(のぞ)き込もうとして近寄ると、引き()り込まれて落ちそうになった。白い人影のようなものを、虚空(こくう)に見た瞬間のことだった。それが何であれ、私には不思議な体験(たいけん)だった。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。