その時、戸が開いて、娘が帰ってきた。娘は年の頃、二十二歳か二十三歳ぐらいに見えた。男は三十代だ。やっぱり夫婦に違いない。

麻衣は笑顔で、娘に挨拶した。

「また来ました。今日は男の人に会いに来たのです。あなたたちはご夫婦ですね。わたしは外のおかみさんに、親子だと聞いています。どうなっているのでしょうか?」

と書いた紙を見せる。

娘は立っている男に、目を注いだ。男は黙ったまま、まだ麻衣を警戒している。

「話してください。わたしは悪いものではありません。あなたたちの役に立ちたいのです」

その紙を娘の前に垂らした。娘は男を眺め、そして思い切ったように口を開いた。

「わたしたちは、あなたが言ったように夫婦です。でも、働き口がなくて苦しいです。わたしは、こうして人様の着物を仕立てて、口をしのいでいます。でも、この人は、仕事がなくて……」

男が言った。

「わたしは仕事を探して、あっせん先を回りました。だが、どこにもありません。何故かというと、わたしは、事情があって人を一人切りました。お尋ね者です。そういうことが、何となくわかるものですね。どこも雇ってくれないのです」

この夫婦は、元武士なのだろう。

「では、夫婦というのは……」

「これはこの長屋に入った時、わたしたちは親子、と大家さんに言ったのです。夫婦ならまた詮索が厳しいだろう。親子ならそうではないだろう、と思ったからです」

「…………」

「それに、耳が悪いと、どこも相手をしてくれませんね」

と男が溜息をつくように言う。

「女房が仕事を探しに行っても、耳が聞こえないと、人を馬鹿にしたように笑い、手で向こうへ行け! と振るのです」

女は下を向いた。大人しそうな女だ。

「この女房と一緒になったのは、郷里の佐賀です。そのときは、聞こえていたのですが、だんだんと聞こえなくなったのです。ですが、わたしが耳になって、ここまで生活して来ました」

「では、あなたが泥棒になったのは……?」

「あれは……たまたま仕事がなくて、あっせん先から、戻っている時に、後ろから囁かれたのです。仕事がありますよって……」

「…………」

「きっとあっせん先で話を聞いていたのでしょう。いい仕事があります、と言われて、ついて行ったのですが……」

「…………」

「ただ、盗った時に鍵を落してください、と言われました」

「鍵を落したのは、虎谷屋が、盗賊に入ったと知らせるためなのね」

「そのようですね」

男は話したので、気が楽になったのか、ホッと溜息を吐いた。

「あのー、このことは誰にも言わないでください」

と女が言った。

「わかったわ」

麻衣はそう言い、じっと目を天井に当てた。何かを考えている目だ。

「報酬は、どのくらい頂きましたか?」

「はい、一両です」

「えっ、安すぎます。ひどいね」

麻衣は、虎谷屋を一筋縄ではいかない商人に思えた。外では、いい恰好をして、その内実は汚いことをしているのだ。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『紅葵』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。