恍惚としながらも人生は続く

有吉佐和子さんの『恍惚の人』という書籍が刊行されてベストセラーとなったのは1972年のこと。認知症の進行した老人と息子家族との触れ合い、特に日常のなかでの嫁との交流を温かいまなざしで描いています。映画やドラマ、舞台などでもたびたび取り上げられている名作です。

高齢化が進むなかで、もはや認知症の問題は避けては通れないものとなりつつあります。特に、団塊の世代が75歳になる2025年には、高齢者のおよそ1/5、実に700万人もの人たちが認知症になると考えられているのです。

しかし私は、認知症になることがすなわち絶望ではないと考えています。私が設立した小矢部大家病院を中心とする医療法人・啓愛会には「ゆうゆうハウス」という介護老人保健施設があります。そして、これまでに多くのお年寄りたちの介護を行ってきました。そんななかで感じるのは、認知症といっても突然全てのことができなくなるというわけではないということです。

特に、MCI(Mild Cognitive Impairment)と呼ばれる軽度認知障害の人たちは、もの忘れをしたり、理解力が落ちたりしても、滞りなく日常生活を送ることができます。いわば、健常でもないけれど、認知症でもない、という状態なのです。私から見れば、彼らはそれなりに日々を楽しく過ごしているように感じられます。

高齢になれば、若い頃よりも体が思うように動かなくなるのは、認知症の人だけに限ったことではありません。ただ、このような軽度認知障害の特徴として、勘違いや思い込みを主張してしまうという傾向があります。そして、周囲の人たちから間違いであることを指摘されると、頑固に反抗し、時に怒り出したり、暴れ出したりすることもあるのです。しかし、怒りだす対象がなくなればおさまるわけですから、孤独生活を甘受して安住できるのであれば、それも一つの生き方なのかもしれません。

現在の介護支援はそういった在宅や孤独な生活も見守らざるを得ない方向に進んでいます。私もそろそろいい年ですから、いつ認知症が始まってもおかしくないといえるでしょう。「ボケたんじゃないか?」「耄碌(もうろく)したんじゃないか?」私は最近、子どもなど周りの人たちから、そう言われるようになってからが本当の人生なのかもしれない、と感じるようになりました。

なぜなら、ちょっと耄碌(もうろく)したくらいからのほうが、あまり成果などを気にすることなく、あるがままを受け入れて残る人生を楽しめるような気がするからです。死は誰にでもいつか必ず訪れるものであり、死ぬことは決して怖くありません。現実には認知症が進み、恍惚状態になり、ありがたく成仏する人たちもたくさんいらっしゃいます。

これも、ありがたい自然の摂理の一つなんでしょう。しかし、残りの人生をあるがままに受け入れて生きていくうえで寝たきりになってしまってはつまらない。体や精神を鍛えて、できるだけ長く健康でいたいと思います。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『宇宙の塵 人生が豊かになる究極マインド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。