「しまった」

淳が眼を覚ました。

「まだ五時だ。どうしても眼が醒めてしまう。君の傍で起きていようと思ったんだ」

背を起こしかけた躰を抱きとって愛撫しながら

「気持ちよく眠れたね。上手くいった。僕の正体はガブリエル会の修道士だと認めるね?」

「すっかり明るいわ。散歩に行きましょう」

「空気が温まらないと咳喘息が始まるんだ。でもリヴィングに移ろうか。邪念が生じないうちに」

松林を出て林の縁を巡っただけだった。風に揺れる、日に溶ける、と言っては淳に寄りかかったり、抱かせたりする。

「君の……使者、だか回し者、だかの役目は済んだ?」

「……わからなくなった……」

「じゃ、僕の勝ちだ。(けむ)に巻いたんだから」

「親に逢えないでいる。病院は僕も来てもらわない方がよかった。ここに移って、昔家族で来ていたようにいっしょに過ごせるかと思ったんだが、不便を楽しめる年じゃなくなっていた。電話ではよく話す。僕をここから連れ戻していっしょにいたいらしい。娘たちが邪魔をする。傍に置いたら半人前ばかりのシナジーが予測できないから。親は僕が死ぬんじゃないかと恐れている。義兄を頼って君を寄越した。こんな莫迦を思いついてくれるのは親だけさ」

「そうだったら……失敗したんでしょうね?」

「……奇襲だった……決まって……僕が諦めると、君は現れるんだ」

「わたしはただ父に叱られて、ご無礼をお詫びしに……お別れの前にごめんなさいを……夫を騙して」

「……そんなに生真面目に取らなくていい。生きる当てはないんだが、僕の屍体の前で親に泣かれては敵わないから、先には死なない。これでいい?」

「先生……」

腕に力を込めて

「違う」

「……」

「草太と呼んだら許す」

「……草太さん」

「二人だけで一晩ベッドにいっしょにいて何もなかったなんて、誰も信じやしない。僕らだけの秘密だ。十日町のことと同じだ。何があったか。僕はこれが生きる支えになる気がする。君が同意してくれれば」

さわさわと風が渡る。不意に松葉の青い匂いが掠める。

「これで僕らは誓った友だ。盟友だ」

名残惜しくて、立っているのが苦しくなるまで抱擁していた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。