敬一さん、心筋梗塞にて意識を失う

敬一さんはいろいろなことに関心を持つ人である。服装に興味が非常にあって、いまだにVANやJ.PRESSといったトラッド系1のブランドには目がなく、最近ではポール・スチュアートやラルフローレンといったブランドにも食指を伸ばしていた。

大学時代には軽音楽部に所属し、ベースを担当していたこともあり、ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、その後のハードロックのバンドやプログレ2のバンドもたまに聞いていた。家族とカラオケに行くとアース・ウインド&ファイアーの“セプテンバー”なんかを歌うので、娘の緑などはすっかり洋楽ファンになっていたりする。

もう楽器をやることはないが、車の中を大音響の館にして洋楽を聞くので、音響外傷による難聴が老人性難聴に影響を与えている(少なくとも家族はそう思っている)。

彼はスポーツも好きである。高校時代は野球部でセンターをやっていた。その後も機会があるたびに、ちょくちょく草野球チームに混ぜてもらって試合に出たりしていた。途中からは職場の仲間に誘われて、会社の近くにあった草野球チームに入り、30代半ばまで楽しんでいた。

名古屋在住が長いこともあって、学生時代は巨人びいきだったのが、今やすっかりドラゴンズファンになり、ナゴヤ球場そしてナゴヤドームによく観戦に行った。