誰もいない聖堂の冷たい床にうつ伏して、気だるい午後を過ごしていたこともあった。夕暮れの鐘の音に心を惹かれ、その響きに耳をそばだてていたこともあった。人知れず、鐘楼の階段を登り詰め、階上から町並みを見下ろしていたこともあった。私はそんなふうに独り気の赴くままに教会の霊的な雰囲気に浸って飽くことを知らなかった。そして、そこを自分の永遠住処のように思った。
子供たちが群れ遊ぶ教会の裏庭の片隅に、小さなプレハブの小屋があって、私はよくそこから子供たちと戯れるシスターを見ていた。彼女は、若く、純真で、美しかった。私は悲恋に終わった初恋の悲しみから、そんなシスターに仄かな恋をしたように思う。子供たちは、私と彼女が並んで座っていると、「結婚しろ、結婚しろ」と言って囃し立てた。すると、シスターは顔を赤らめて逃げ出した。私はそれを可愛らしく思ったが、彼女もまたしばらくして藤沢の修道院に去っていった。
そして、私はその年のクリスマスに米子教会で洗礼を受けた。その日は牡丹雪の混じった強風が吹き荒れていたが、聖堂には小さな石油ストーブが一つあるきりで、私は寒さでかじかんだ身を震わせながら祈り続けた。しかし、洗礼を受けるに及んで、いつしか寒さを忘れ、体を火照らせていた。
ミサは深夜に及び、終わっても、帰りのバスはなく、伝道場に泊まった。薄い毛布にくるまって、老いたシスターの焼いてくれたパンにバターを塗ってかじった。隙間風が吹き込んでいたが、いつしか温もって寝入っていた。そして、目ざめた時には、まばゆい朝の光に照り輝いた世界を見た。
そんなふうに、私は帰郷した山里で、孤独と自然と信仰の中に、十八歳の青春を過ごして、疲れを癒していった。あたかも隠遁した信仰者のように己の世界に遊んで飽くことを知らなかった。そうして、確かに、心の落ち着きと永遠の静寂を得たが、心なしか人の世に対する気疎さを感じていた。
それが分裂症の予後であることを、当時の私は知る由もなかった。そして、そのままその症状をずっと後々まで引き摺った。無論、それが虚無の壁となって、私を外部から遮断してしまったことに気づきもしなかった。