第二章 原点への回帰:第二節 米子

私はただ神には一切(いっさい)が可能であると信じ、明晰(めいせき)な頭脳の復活を信じた。休むだけ休んで(よみがえ)り、キリスト者として生き直そうと思った。そして、勉強をやり直して医者になり、死んでいく人々と悲しみを共にして生きていこうと思った。それにしても、私は大学に進学していった同級生たちの(なが)れから完全に落ちこぼれて、体制の外の人として歩き出だしていた。

勿論(もちろん)、クラスの人気者だった初恋の女が、私と絶望を共有しようとはしないで、私を(ひと)り置いて進学していくのは仕方(しかた)のないことだった。彼女は体制の寵児(ちょうじ)となって、男友達の間をはしゃいで飛び回っていたが、そうやって女子大から大人へと絶望に向()かって、生きていくように思われた。

なぜなら、人を(あい)するためには、絶望(ぜつぼう)していなければならないが、彼女は絶望しないことによって、(あい)することを知らないという絶望に(おちい)っていくように思われたからだった。私はそんな彼女を()っていくに(まか)せるより(ほか)はなかった。絶望の悲しみを共有(きょうゆう)できなければ、すべては無意味(むいみ)だったのだ。私はそうして彼女に別れの手紙を書いた。かくして、私の初恋は悲恋(ひれん)に終わったが、終生、心に(うず)いてやまない傷跡(きずあと)(のこ)した。

(私はすべてを()てて、死ぬほどに、彼女を愛したが、「愛することに愛されることが対応(たいおう)しなければ、その愛は不毛(ふもう)であろう」私は初恋の思いを()ち切るしかなかった。)

そうして、私は山深い故郷(こきょう)の片隅で、森の隠者のような静謐(せいひつ)な生活に入ると共に、疲れた体を横たえて、体が強張(こわば)るほどに眠り続けた。目ざめて朝の光を見てまた眠り、また目ざめて(ゆう)の光を見てまた眠った。日の出を見てから日の沈むのを見るまで、ほとんど体を動かさなかった。

心ゆくまで眠って起き出すと、それから読書と山歩きの日々(ひび)となった。ホイジンガ―、ストリンドベリ、フローベル、モーム、……と。そして、読み(つか)れては、散歩に出て、誰もいない林道に(あそ)んで、山中の谷川のほとりで小石を投げていた。

といっても、週に一度は米子(よねご)のカトリック教会に通った。教会の人たちは私を(むか)()れて温かだった。私はよく誰もいない教会の広場の芝生(しばふ)に寝そべって倦怠(けんたい)に身を任せ、まばゆい春の日差しを浴びながら、自分の存在感覚を味わっていた。