そして、中国映画界が婆須槃頭の主演に動き出した。『三国志』の中でひときわ光芒(こうぼう)を放つ猛将呂布(りょふ)の役で題名は「好漢(こうかん)」である。三国志時代、後漢最大の猛将といわれたあの「呂布」を婆須槃頭が演じるのである。『三国志演義』では裏切りの常習者で最後は劉備、曹操等に捕まり、醜態を晒して首くくり殺されるが、映画の呂布は一味違っていた。

歌舞伎調の髯のない呂布ではなく、髯もじゃでしかも兜を冠っているのである。機を見るさもしさ、配下に愛想づかしされる滑稽さはあってもそこには人間臭さがにじみ出る。しかもその最期がまことに凄まじい。愛馬赤兎馬(せきとば)(またが)ったまま味方の裏切りで背後から矢を射こまれ、曹操の名を叫びつつ河の中で落馬して絶命する。その寂静感に中国の観客は裏切りの常習であっても呂布に心からの共感を示し劇場で涙し拍手した。婆須槃頭は中国映画界でもヒーローだった。

婆須槃頭が五本目の作品にインド映画を選んだことは驚きだった。

インド映画「提婆(だいば)末裔(すえ)」。

再び戻ったインド映画は仏教色の強いものとなった。釈尊に反旗を翻した従弟の提婆達多(だいばだった)、その子孫は後のマウリア朝のアショーカ王の治世になっても、全インドを覆った仏教徒から冷遇され迫害され通しだった。祖先の罪はその子孫までもが償わなければならないものなのか。かつて連合国に敗北し、犯罪国家の烙印を押された日本、ドイツの現状までもみすかす大きなテーマである。

提婆達多の子孫はどうやって救済を得たのか。仏教の普遍性さえもうかがい知る傑作となっていた「提婆の末裔」。インド映画がこれほどまでに仏教に入れ込んだ作品を世に送ったのは初めてであった。

あの問題作「マルト神群」が再び日本で上映されたのは、「提婆の末裔」の公開からすぐであった。両映画の主演、婆須槃頭は今度こそ日本で再評価の対象となっていった。しかし、彼の正体はついに明かされることはなかったのである。

私は「マルト神群」を冷静な眼で見続けた。タイトルの出る前に、不思議な漢字の四文字がスクリーンに浮かび上がる。「倉皇爽籟(そうこうそうらい)」。そしてその文字の下に厳かに大きく「マルト神群」と出るのだ。

「倉皇爽籟」とはどういった意味なのだろう。私は漢和辞典を引いて調べた。倉皇(そうこう)=あわただしい様。爽籟(そうらい)=秋の風、身に染みる心地よい風。とあった。二つの意味を重ね合わせるとどうなるか。勝手な推理ながら、これは全人類に向けたメッセージなのではないかとみた。

心地よい風を呼び身に浴びるために急ぎ何かをしなければ、そういったことではないのか。私は国際電話で涯監督に尋ねようとしたが彼とは不通であった。多くのマスメディアからこのことについて問い合わせがあったが私は自説を述べるに留まった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『マルト神群』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。