八重国民学校の生徒たち

三年生は一クラスだけで三十人ばかりの男女生徒がいた。神戸や大阪から疎開してきた者も四人いて疎開児童はMが加わって五人になった。疎開してきた児童は皆、良く勉強ができたが、やはり地元の子は庄原の子と同じように学力は劣っていた。

担任は増井という岡山から故郷に帰ってきた独身の女先生で、仇名は大根足センセだった。

都会から縁故疎開をして転入学してきた四人の生徒のうち、佐倉君は大阪、三川君は神戸、女子では高山さんと横井さんが関西方面から疎開してきた生徒で、Mが加わって五人になった。

大根足の増井先生は字が巧く書けるMを、教室の壁に貼る月間行事予定表や黒板の曜日などを書く係にした。Mは広島県師範付属国民学校で基礎教育を学んだお陰で勉強では誰にも負けず特別良くできた。

体力が劣っていたM

Mは農作業を手伝っている田舎の子に比べると体力が劣っていて足腰が弱く、しょいこを背負って山に登って薪や柴や枯れ枝をいっぱいに採ってくる作業はいちばん苦手だった。競争して帰る下りの山道で二度も転んで帰り着くのがいちばん遅れた。

ハアハアと息を切らせながら、やっとたどり着くと、いつもは勉強ができない田舎の子たちが手を叩いて喜んで、ドベ、ドベ(いちばん最後)と囃し立てた。先に着いた女子たちからも笑われて、負けず嫌いのMは、とても悔しい思いをした。心のなかで「バカタレ。今に見てろ」と言って奥歯を噛みしめた。