結論は、偶然の産物だった!

東インド会社によってヨーロッパに輸出され始めた福建省武夷山付近を産地とする武夷茶(ボヒーティー)や工夫茶(カングーティー)が、発酵度が進んでおり紅茶に似ていた。

それらを作る茶農や茶職人のうちのパイオニアたる誰かが、イギリス人をはじめとするお茶好きが求める嗜好に合わせ紅茶らしくしていった。嗜好の点では、紅茶は緑茶に比べて、渋みや苦みが柔らかく、砂糖やミルクを入れて飲むのによりふさわしいお茶だったのだ。

そして天日干しによる萎凋や発酵度の調整を行って品質の工夫・改良を重ねた結果、徐々に本物の紅茶になってきたのが本当のところのようだ。

ボヒーやカングーこそが、紅茶の起源であるということになってはいるが、元は所詮偶然の産物であったという捉え方が自然である。

紅茶の起源についての結論は、これにて終結。

船上発酵説のように人々を楽しませてくれるこの手の話も、矛盾に満ちてはいるが、それがまた面白くもあるところ。紅茶見聞録は、今回紅茶の発祥の地、中国福建省武夷山に来たところでまだ走り始めたばかりですが、読むのに少し疲れた! ことでしょう。

紅茶の起源・酵素反応、など長々と少しまじめな話で肩が凝った方には、次の見聞録の行き先、リゾートアイランドのセイロンで、寛いでいただきましょう。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『紅茶列車で行こう!』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。