この脚本は監督も気に入った。映画化に意欲的だった。ただ、なかなかうまくいかなかったことがある。それは、精神病院内の実態をどこまで描くのか、あるいは映画なのだから楽しいことしか描かないのか、ということだった。

奥さんの病気がなかなか良い方向にいかない大変さは、監督は嫌というほどわかっている。それなのに、楽しいことばかり描いて良いのか……。悩んだが、映画としての楽しさや、エンターテインメントとしての重要性の方を選んだ。

たまたまかわからないが、追い風となったのは、奥さんの症状がこの少し前から改善してきたことだ。俺は、少し複雑だが、映画が成功することだけを望んだ。はかない命かもしれないことを、得体の知れない通報者は考えたことがあるのだろうか?

監督は映画だけじゃなく、奥さんも大事にしなくてはいけない。俺は、映画だけを大事にしたい。またもや、俺は奥さんが邪魔だと考えるに至った。

病院で垣間見た奥さんは、傍目から見ても尋常じゃない感じだった。目は誰とも合わさず、同じことしか言わず、幼い笑顔を浮かべている。彼女がこうなったのは俺が原因だが、誰しもそうなるわけではないから、俺は責任を感じないし、彼女がはかない命にしか見えなかった。そうだ、彼女はもう亡くなったに等しい。俺は、もう遠慮しない。

俺は、監督が映画監督として必ず再起してくれると信じ、奥さんのことはあまり考えないようになるだろうと信じた。だが、そんな俺の願いに反して監督が、妻の大きな病の克服だけが希望の光のように言うことが、俺は気に入らなかった。監督は、『お互い、いい仕事をしたいが、彼女にも早く良くなってほしい』の繰り返しだ。

映画化には時間がかかるだろう。俺は違う監督に頼む気はないが、待たなければならないことにイラついた。奥さんの具合が悪い方が、監督にはいいのだ。他のことに気を向けたくなるから。良くなってくると、奥さんに気がいってしまう。俺は、こんな状態に耐えられなくなっていった。

大したことない人間だった俺なのに、考えたら今や大ヒットメーカーだ。才能があり余るかのように、脚本のアイデアが浮かぶ。犯罪者でもあるが、それは過去の話だ。愛が勝つか、仕事が勝つか。しかし、朝からさえない顔しかできない彼女を、なぜ愛せるのか?

俺にはわからなかった。