室町の父からの電話

独りで(もつ)れているだけだと言い切れないのが後ろめたい。俺の願望が強過ぎるから。二人だけでいい、この世で大事なのは淳だけだ。それは嘘じゃない。だけれども、俺たちに子供ができるなら、授かるものをどうして拒む理由があろう? 無垢の生まれてくるものを。高齢が怖いたって、今は無痛分娩も帝王切開も……。

つまり、母親に頑張って欲しいのだ。いやがるのを無理に受診に付き添って、女医に、逆に体重が落ちている、ひどく恐れている、と、俺のことだ、たどたどしく、産んでもらいたい、と訴える。大丈夫よ、高齢で初産だと一時的に不安になるものなの、とどっさりビデオや読み物を渡されると、違うんだ、淳さんの恐れは……

あなたの、室町のお父さんと重信さんは、喜ぶだろう? 祝福してくれるだろう? もちろん、親父と太洋は大喜びだ。まだ、言わないで。まだ、きちんと結婚したことを伝えてない……そう……二人で挨拶に行こう。僕、ちゃんと挨拶する。あなたが恥ずかしくないように。あなたがいいなら、僕一人でも。少し、考える。いい、僕のやり方で行く。僕はだめな父親のままでいたくない。

(おもかげ)の母親が哀れで訊けない。妊娠も出産も授乳も知らないままだった。この気持ちが誰に通じるだろう。わたしがぬくぬくと育まれた家庭は消えてしまった。

折りしも、室町の父からの電話だった。

変わりないか。仕事は順調か。無理していないか。僕らも相変わらずだ。ご同慶と言いたいところだが……。訊きたいこともあるけれど、先に、生方くんのことを知らせておく。重信、ここにいるよ、あとで代わる。重信の会社の後輩なんだ、生方くんの姉さんの連れ合いが。

企んだなんて下卑た言葉は使っちゃだめだ。結婚のことを隠したとも思ってない、事情があるだろうから。その、姉さんの連れ合いから聴かされた。仕事で海外に出てMERS(マーズ)に感染してきたそうだ。一時は相当深刻だったらしい。J病院だ、もう退院している。その後が拙い。気力なくして、隠遁したがって、義理の兄貴を困らせている。

勤め先に推薦した手前もあるし、大学の職を捨てた前科があるから、親御さんにも気の毒で、立場上、ということだ。聴いているね。親御さんて、美術史の生方先生なんだね。君には礼儀を(わきま)えていて欲しい。母さんのように。女だからじゃないのはわかるね。僕らが、僕と重信が、信条は別にしてこの世の中の作法を尊重してきたことをまさか卑屈だとは思ってないだろう。君のことだ。考えてあげなさい。