はじめに

人は誰でもいつかは必ず死ぬもの。自分の生きてきた足跡にそこそこ満足することができれば、それで良しとするべきです。結核から脊椎カリエスを発症してわずか34歳で亡くなった俳人・歌人の正岡子規は、死が近づくにつれてその作風が明るくなっていきました。それはおそらく、死というものを受け入れ、自分の生に納得したからこその明るさだったのだろうと感じます。私も、自分の死というものをできるだけ明るく迎えたいと思います。

私たちが生きているこの地球は、飛行機に代表される物理的な移動手段だけでなく、インターネットやメール、SNSなどによってずいぶん小さく、身近に感じられるようになりました。しかし、宇宙を見上げれば人類の想像も及ばない広大な空間が広がっていて、膨大なエネルギーが渦巻いています。

しかし、たとえ宇宙のほとんどが目に見えないダークマター(暗黒物質)だとしても、目に見える光もまた確実に存在しています。私は、この光こそが、日々を一生懸命に生きている私たち全ての人類にとっての希望なのだと感じるのです。

私たちが生きるこの地球は、宇宙から見ればほんのちっぽけな惑星のひとつに過ぎません。そこに生きる私たちが、富や愛、そして命までも失っていたとしても、宇宙の光はそんなことにお構いなくずっと存在し続けることでしょう。

そんな宇宙の光のように、最後に残る希望となってほしいという願いを込めて、本書を『宇宙の光』と名付けたくも思いました。しかし、私たちは宇宙を構成している塵であることも事実です。

私が生まれたのは昭和10(1935)年のことです。小学生の時に戦争を経験したこともあって、病気やケガをした人を自分の手で治せるようになりたいと医師を目指しました。高校時代に一生懸命に勉強した甲斐あって医師になれたのは、ちょうど日本が経済成長真っ只中にある頃でした。そんな時代だったこともあり、若輩者ながら多くの人たちに支えられて病院を開業することができました。そこからは文字通り寝食を忘れて病院長兼医師兼雑用係として突っ走りました。