恭子については、彼女の姿態や表情の浮かべ方を思い出しながら、その性への執着心を、或いはセックスについての考え方を推し量ることぐらいしかできなかった。彼女に冠せたイメージを不完全なままに引きずっているというのが来栖の心境だ。恭子の本来の姿を見定めようとしたり、二人の関係をポジティブに見直す気になったのは、彼女を失ってしまったという意識がはっきり心の中に根づいてしまってからのことだ。まったくアベコベの順で馬鹿なことを推し量ろうとしたものだという思いもあった。彼女はセックスを介して来栖と結びつくことで最大限の喜びを得たようだと独断的に判断してもよいのだ。

性交での快楽から出てくる喜びだけでなく、恭子が味わった心地よさというのは肉体的なものからだけでなく、精神的なつながりを体で感じ取ったところからも得られていたはずだ。自己都合の判断のような気がしながらも、彼は案外この想定が的を射ているのではないかと思った。あるいは思いたかったというほうが正確かもしれない。もとより、彼が思い描くように恭子自身がこのように考え、気持ちの面でこのように振る舞ったことは頻繁に繰り返されたことではないだろう。

それよりもはるかに多く彼女が充足感をもって体験したことは、セックス抜きで単に肌を互いに密着させて肌のぬくもりを感じていれば陶然としておれたということだろう。それこそ彼女が味わうことができた幸福感だったに違いない。

恭子との思い出をさらに見直してみようという気になったこともある。そのときは遅ればせの過去の追体験から始めようとした。事実関係というものは変えられないが、恭子にとってスキンシップが意味するものを再検討したいということだったのかもしれない。彼女が頻繁に見せたスキンシップへの偏愛ぶりだけは彼の記憶の中にとどまり続けており、これは変えようのない事実だ。彼女の場合、男女間の肌の触れ合いに限定されるものでもなかった。

男女間の関係では性感を高めるための前戯として肌の触れ合いを必ず求めるというのが普通の理解だろうが、彼女のスキンシップへの執着は通り一遍のものではなかった。たとえば、来栖が運転席にいて恭子が助手席に乗っている形の同乗の場合でも、彼女は運転席の来栖に触れようとし、文字通りのスキンシップをいつも繰り返した。この時ばかりは運転席と助手席で離れて坐っているわけだから、恭子のスキンシップは彼の左手と太腿に始まり、最後は彼の髪の毛に集中してきた。頭の左側全体にわたり、耳朶も含め愛しくてたまらないというように何度も右手で撫で上げ撫で下ろしてくれる。