「……他に遊ばないから……」

「うちは商売ですから、高く売りたい、が、まだ値段が決まらない。試しに三号を売ってみます。一か月うちに置く条件で」

親父を描きながら、太洋が似ているのがわかった。手とか、指とか、爪とか、生え際とか、体形とか。俺は全く似たところがない。母親似ということになる。あの赤い服の女に似ているんだろうか。

それじゃ、親父は、いやだろうな。

「町田さんが売り絵って言う。一遍にカンバス十枚くらい並べて同じ絵を描く。僕は沢山売りたいのじゃない。腕を上げて、何をしたいって、あなたばっかり描いていられれば本望だ」

淳さんは俺に涼しく笑う。けれども汀で砂に消える潮水のように微笑は引いていく。歳がそんなに悲しみを引きずるなんて。

「……僕といっしょでも悲しい?」

「どうして! あなたが絵に没頭しているのを視るのは最高に愉しい! 我を忘れて!」

「……はぐらかさないで。そりゃ僕は鈍感で何かとあなたの気持ちを聞き流してばかりいるだろう。構って欲しがって煩わしいだろう。子供扱いはいい。だけど……夫だ」

ところが、意外にも淳さんは俺の首っ玉に齧りついて何か言ったんだ。

「聴こえなかった」

両方の耳朶を引っ張って

「じっしゅうなの」

「……わからないよ」

俺はまたもや茫然自失。

淳さんの重さごとソファに体重預けて、空回りする頭の火花を視ていた。

鬼の霍乱は着床の合図だったんだ、きっと。冷静にそう言った口の下から怖いの、怖いのと泣き出す。

俺はただもう面食らって、それでも目の前のものを一つずつ片付けていくしかなかった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。