立派なことでなくてもいい、できることから始めよう

「なにもできないのだから、せめてできることをしなければね、だから顔施よ」という母の言葉がそのたびに甦って来るような気がした。

「なにもできないのなら、せめて、できることをするしかないでしょ。できることから始めたらどう?」

なんだか、母が私の近くにいて、そう語りかけてくれているような気がした。

できることからしたらいいのね? それしかないのね……。

「立派なことでなければだめ、なんて考えなくていいのよ。自分にできることを一生懸命していきなさい」と母が言っているような気がしたのだ。

それでいいのね……ふと、そう思えたとき、やっと、いつもの自分、いつもの日常が戻ってくるようだった。

日々の生活のこまごましたことを前よりも丁寧にしようと思っていた。毎日の一人の食事をもっと丁寧に作ろうと思っていた。

いままでは己をしらず、立派なことや大きなことをすることこそが価値だと思い込んでいたと思う。すくなくとも、「私」はそうしなければならないとばかり思っていたような気がした。

だが、本当の「いざ」というこのときになにもできない自分を見てしまったのだ。

私が今回の人生で本当に学ばなければいけないことは、日常生活の細々としたことを大切に生きていくこと、日々同じことを丹念に繰り返していくことこそ修行だと知ることだったのかもしれないと思った。

大きなことなどなにもできないのだから、せめて身のまわりのことを丁寧にしていこうと思った。

他の人を励ます言葉や笑顔なら多少だけれど、なんとかできるようになってもいた。

「微笑むだけで愛は始まる」という言葉は一九七九年のノーベル平和賞授賞式の折、その年の受賞者だったマザー・テレサのスピーチにあった言葉である。日本では古くから仏教の言葉として「顔施」ということが言われてきたけれど、このマザー・テレサの優しい言葉もまさにそういうことを言っているのだと思う。

いまは自信をすべて失ってしまったけれど、そのうち、また、私のできることがやってくるかもしれないと思い始めることができた。もちろん、日々出会う人たちへの顔施や愛語を忘れずにその日を待とうと思った。やっと「いま、自分にできることからもう一度始めていこう」という気持ちになっていたのだ。

東日本大震災は私にとっても大きな人生の転換点になった。

ほかの人にはわからなかったかもしれないが、私自身はいままでの自分と違う、まったく新しい人生が始まるように感じていた。その新しい人生を生き直そうとしている自分が感じられたのである。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『母の説法 人生で大切なこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。