1998年4月10-13日(金-月) ヨーロッパ歴史訪問記域外篇

ボスポラス海峡とダーダネルス海峡がヨーロッパとアジアの境界ですが、トルコがヨーロッパを向いているのかアジアを向いているのかは難しいところです(ちなみにイスタンブールは1つの町が海峡を隔ててヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがっています)。

経済的にはヨーロッパとの繋がりが強いのですが、トルコの欧州連合への加盟申請は昨年否認されました(ガイドさんはドイツ人のトルコ人差別感情に批判的で、ドイツ在住のトルコ人追放の陰謀があると息巻いていました)。これは隣国のギリシャの加盟が認められたあとだっただけに余計頭に来ているようです。

ただアジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸に跨り20世紀まで続くオスマン帝国を築いた誇りは高く、「EUがトルコを必要としないと言うのなら、トルコもEUを必要としない」とまで言っていました。上記の中央公論新社『世界の歴史-ビザンツとスラヴ』によると、ヨーロッパとアジアの境界はキリスト教社会と非キリスト教社会との間で引くべきとのことで、その意味ではトルコのEU加盟の道は遠いと思われます。

日曜日は午前中ボスポラス海峡クルーズに参加し、午後は第1ボスポラス大橋を渡ったアジア側にあるトルコ皇帝の夏の離宮ベイレルベイ宮殿と絨毯工房を訪問しました。絨毯といえば日本ではペルシャ絨毯が有名ですが、ヨーロッパでは織り方、デザインでトルコ絨毯の方が評価が高いようです。見せてもらった中で一番高かったのは畳3枚ほどの大きさのシルク絨毯で500万円程度です。