命の値段は

コロナ()で外食もなかなか出来ず、何か美味しいお取り()せでもしようかと、スマホで物色しているとフグのセットが。

子「フグ食べたことある?」

父「あるよ」

子「(どく)で死んじゃった人もいるんでしょ? なんでわざわざ危あぶない魚を食べるの?」

父「お父さんもそう思うよ。そういう紙一重の魚の方が美味しいのかな? お父さんグルメじゃないから分からないけど。食べたいの?」

子「やめとく。(ぼく)がフグの(どく)で死んだらどうなるの」

父「お店は営業(えいぎょう)停止(ていし)かな。お父さんはお店に損害(そんがい)賠償(ばいしょう)を請求するかな」

子「(ぼく)はいくらになるかな」

父「その時いくら(かせ)いでいるか、その時何歳かによるみたいよ」

子「給料で変わるの? 命は一つ、同じだよね?」

父「命に値段(ねだん)を付けているわけじゃなくて、生きていたらそのあと(かせ)いでいたであろうお金を払いなさいってこと。ん、同じことか……?」

子「高くても、(ぼく)がもらえるわけじゃないし」

父「もう縁起(えんぎ)でもない。やめよう」

お父さんのひとりごと

人によって金額(きんがく)が変わることに納得(なっとく)がいかないようです。

この後、スーパーに行ったら牛肉の値段(ねだん)(ちが)うよねという話になり、変に納得(なっとく)していました。

価値(かち)の高い命、低い命があっていいのか。

皆さんのお子さんは納得(なっとく)されるでしょうか。