そうして、私はこの夏をもって、永久に明晰な頭脳を失った。記憶は暗い闇の底に埋もれ、思い出そうとしても、淀んだ泥水を掻き回すばかりだった。考えようとしても、頭の中が糊で固められたように不能になっていた(私は統合失調症、すなわち、早発性痴呆症になっていたのだろうが、当時の私にはそんなことなど思いも及ばないことだった)。
ただ記憶力も思考力も失って、何もできなくなった自分に絶望し、そして、その事実を秘め隠そうとした。
そんな私が生き恥を回避するために、廃学を試みたのは当然のことだった。私は父に退学させてくれるように訴えた。何かいい口実をもって私の敗北と恥辱を覆い隠して、そっと彼らの中から救い出してくれることを願ったのだ。
しかし、父は教師に相談したうえで、私の逃亡を許そうとはしなかった。教師は私を呼び出して詰問し、私は俯いて涙を流すばかりだった。ことの次第が白日の下に明らかになりかけると、私は自分の絶望が世間に知れわたることを恐れて、その試みを断念した。激しい羞恥が私にそれ以上のことをさせなかったのだ。そして、そんなふうに私を追い込んだ父を恨んだ。
私は逃げ道を断たれて、学校に留まったが、もうそこでやっていく能力を持っていなかった。私の成績は糸の切れた凧のように失墜していった。そして、私はどんよりと濁った頭脳を抱えて恐れ戦いた。いつもどこからか侮蔑の視線で見つめられているような気がして、神経を研ぎ澄ましているのだった。
授業で浴びせられる教師たちの皮肉と、同級生たちの嘲笑に幾たびも冷や汗を流した。そうやって私の心はトゲ刺され、傷ついて、癒されることのない絶望と羞恥のトラウマを蓄積していった。「彼らは廃馬を撃つ」という。私は彼らに撃たれ続けてなすすべを知らない廃馬となっていた。