ガキ大将の済生幼稚園児の頃

Mは五歳になると広島一の繁華街の本通りを越えたところにあった、済生幼稚園に通うようになった。

家が近所で同じ幼稚園に一緒に通っていた筆屋のケンちゃん、洋服仕立屋のトムちゃん、銀行員の末っ子のマー坊の仲良し四人組でよく遊んだ。

近くの白神社や産業奨励館(今の原爆ドーム)があった相生橋辺りまで出かけ、行動半径も、どんどん広がって日が暮れるのも忘れて辺りを駆け回った。

ケンちゃんは背が高く、小学三年生くらいに大きかった。トムちゃんは走るのが一番速くて、すばしっこかった。マー坊はチビだが太っていて相撲は強かった。Mはというと、仲間のリーダーで腕力が強く負けず嫌いだった。

腕白小僧四人組

いたずら盛りの悪ガキどもは、市電が走ってくる線路上に拾ってきた十センチ以上もある大きい釘を並べてペシャンコに潰し、それを磨きあげて、ナイフ代わりに持ち歩いたりもした。

鼻ったれガキ大将とでも思われたのか、少し年上の国民学校に通う少年たちも怖がって、Mたち四人組には近づかなかった。

♪~五十銭、五十銭と思って拾ったらビールビンのふたか、損したな~♬

などと声を出して歌いながら歩いたりもした。

今なら、ちびっこギャングとでも言われそうな面々で、本通り界隈の繁華街にも足を延ばし、今で言うパチンコ屋のような遊技場があって大人たちがゲームをやっていたのを覗きに行ったことを朧げながらも覚えている。

日が暮れて親が心配するまで帰宅しないで遊び呆けて、よく𠮟られた。心配して、本通り界隈まで探しに来てくれたマー坊のお祖母ちゃんから、水飴や駄菓子を買ってもらって、食べながら喜び勇んで帰宅したものだ。

映画館で最初に観た映画

二年ばかりだったが、Mにとっては済生幼稚園児で悪ガキだった頃の楽しかった思い出がいっぱいあった。

なかでも真蔵おじとスミおばに、兄の真一と一緒に連れていってもらった映画のことは、今でも覚えている。

確か的場町辺りにあったトキワ館で、まずニュースから始まった。

その画面に「青年隊…」と漢字の大きいタイトルが出た。Mが漢字を習っていたので得意げに「アオネンってなんねえ?」と言ったので場内の観客たちが、どっと笑った。

上映が開始された映画は『桃太郎・海の神兵』(松竹動画研究所製作)という題名のアニメーション・モノクロ漫画映画だった。

Mは初めて映画館に連れていってもらって観た映画で、後年(昭和五十年代)ビデオになったものを買ってきて家のテレビに映し出して観て、嬉しくて、懐かしくて涙が溢れそうになった。今もその映像の端々が記憶に残っている。

だが、それは夢のような楽しかった頃の思い出のうちの一つで、Mの幼少期は、あっという間に終わったような気がする。