北斗七星

小学五年生の頃、小さな児童合唱団に入っていた。先生のお宅で土曜日夕方から練習があった。

毎週小学生三、四人で、夜空を仰いで帰ってくる。星空がきれいだった。運が良ければ、流れ星を見つけることもあった。星座はわからなかったが、ひしゃく星、北斗七星だけはわかった。少女雑誌にあった病気のお母さんと、優しい娘のひしゃくの話が印象的で、たくさんの星の中からひしゃくの形を探し出し「北斗七星!」と喜んでいた。

練習の帰りは長野電鉄桐原駅から北へ歩く。北国街道を渡ると、右に吉田神社、左に竹林、あとは田んぼが広がり、ずっと先にバス通りが横切っていた。田んぼの中に一軒だけ家があった。子どもたちがわいわいおしゃべりをしながら歩いていくと、中から中年のおばさんが出てきて呼び止めた。

うるさいと怒られるのかと思ったら、

「バス通りを越えたところにラーメン屋さんがあるでしょ。あそこのおじさんに、ラーメンを一つ届けるように頼んでくれない」

と、言ったのである。子どもたちは用事を頼まれたことに得意な気分になって、「うん、いいよ」と、請け負った。個人の家にまだ電話がなかった時代である。

ラーメン屋さんで私たちは、「桐原駅に行く道の一軒屋のあの家に、ラーメン一つ届けて下さい」と、頼んだ。おじさんがいぶかしげな顔をするので、

「おばさんから頼まれたんです」

「ラーメン一つだって」と、口々に説明した。

翌週、またおばさんの家の前を通った。おばさんが飛び出してきた。「あんたたち、ラーメン屋さんに言わなかったでしょ!」と、怒られたのである。

私たちは、

「言ったよ」

「ちゃんと言ったよ」

と、抗議した。年月は流れ、私はあのときのおばさんよりずっと年上である。彼女を思い出すと、何やら丸まっちい体の後ろに、たぬきのしっぽがついていたような気もしてくる。「ラーメンを食べ損なって残念だったわね」。もしかしたらラーメン屋のおじさんは、口々に騒いだ私たちを、子だぬきのいたずらだと思ったのかもしれない。

今、神奈川の家からは北斗七星は見えない。夜空を仰いでも、星は二つ、三つ疎らに見えるだけである。いつか夜空いっぱいの星の中で、北斗七星を探してみたいものである。